富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

1800ミリSv

fookpaktsuen2013-09-01

陰暦七月廿六日。香港の朝の気温が摂氏25度。最高気温も29度の予報で北京はすでに20度とかなり涼しくなり東南アジアも曼谷の34度が最高のなか東京は摂氏35度でアジア一の暑さ。なんてこった。官邸で仕事立ち会ひ。快適なネット環境(Wi-Fiで下り11.4Mbpsで上り8.4Mbpsなら十分)と音響で幸せ。銅鑼湾に用事あり跑馬地に戻るのにミニバスに乗つたらスタンレー行きでアバディーン隧道に入つてしまひリパルスベイで下車。日曜日ってこんな感じなのね、のシーサイドリゾート気分。夕方、湾仔。Z嬢と待ち合せるはずのバーは「大龍鳳」だつたが住所が慶雲街なのを一つ手前の雲景街と勘違ひ廃墟のやうな建物に廃業かと早合点で漫ろ歩き合和中心の路面にあつた独逸麦酒屋。麦酒グラス越しに現代印象派的な面白い写真となる。Z嬢来る。街市の三角街にある祥利飯店に飰す。店を切盛りするまだ若い老細と従業員の働きぶりがまぁ見事。炸子鶏は注文してからしつかりと揚げられ蠔仔粥も美味。三聯書店で書籍数册購ふ。今日で関東大震災から九十年。都新聞の特集記事で、森林が類焼防ぐ働きあること、遅ればせながら震度でいえば東京では干拓地であつた墨田、江東区の揺れが大きかったが何よりも神奈川と房総が震源地で激震に見舞はれたことを識る。但し死者の9割が火事によるもので多数の死者が東京東部で出てゐること。
▼昨日の都新聞「大波小波」に小津安二郎について「戦争体験を語れない苦しみ」(周平)が面白い。小津研究相変らず盛んだが小津が「野戦瓦斯第二中隊で戦った」「毒ガス作戦に深く関わった事実に触れるのはタブーのようだ」と。田中眞澄『小津安二郎周游』は小津の戦争をまとめドキュメンタリー映画『陸軍登戸研究所』では現在の明大生田キャンパスにあつた軍事研究所が毒ガスどころか細菌兵器から殺人光線の開発、印刷局から顧問招き偽札!まで製造してゐたと語る。それが戦後明らかにされたのは元所員の一人が人体実験も含めた事実の吐露だが大波小波は「生涯、口を噤み続けた小津はさぞや苦しかっただろう」と結ぶ。ふと思つたが小津のあの作風、戦争に行く戦前から彼らしい作風こそあつたが、戦後の一連の作品があそこまでトピックスに欠け寡黙なのも、冠婚葬祭除けば何も起きないのも、誰にも嫌はれないのも(作風が好きでなくても「嫌ひ」と否定するほどの「もの」がない)小津が戦争を経ての「何か」がかなり影響してゐるのだらう。「批判されない」といふこと。