六月十七日(金)未明に30mmだかの大雨ののち晴れ。昨晩はバーSで途中からの記憶がない。今朝起きてきちんと陋宅寝室で寝てゐるし財布や身の回りの物も几帳面に棚に並べてはあるのだが。二日酔いでなくたヾ体力がない。昼にFCCで昼餉兼ねマレーシアのペナン州首相で野党・民主行動党の幹事長であるLim Guan Eng(1961〜)のお話拝聴。マレーシアのスルタン国の連邦はちと理解しにくいが更にペナンは独特で英国領時代長く独自のスルタンをらずペナン州は州議会による議員内閣制で州首相(Chief Minister)を選出。それがこのLim Guan Eng氏。ペナン州の与党がこのLim氏の属す民主行動党(DAP)で社会民主主義を標榜する中道左派政党。ペナンも元々は連邦与党のUMNOが押えてゐたが2008年の総選挙でアンワルさん(ペナン出身)による野党の選挙協力(国民戦線、BN)で28議席を獲得したDAPはペナン州では州議会を制し同党の幹事長であるLim Guan Engが州首相に。この方、DAPの創設党員の一人であるLim Kit Siang(1941〜)の息子で二世政治家だがマハティール時代に国家転覆罪などで投獄もされ反体制野党のシンボル的存在だつたがUMNOでアンワル氏追い落しによる政局の動きで野党統一戦線が勢いづきアンワル氏がカリスマ的とはいへ仕組まれた?にせよ醜聞続きで「若さ」が売りだが、もう60代となりLim Guan Engは統一野党の将来の首相候補の有力株。マレーシア政治の変革とペナンの宣伝に熱が入る。哺時帰宅してドライマティーニといヽたひところだがさすがに今日は休肝。夕食のあと洋泉社のムックで初公開写真でよみがえる「昭和の鉄道」眺める。
▼昭和の鉄道といつても昭和二十年代後半から三十年代の特急が客車から電車になる頃、特急つばめの最後尾の展望車が「こだま」(新幹線ぢゃありませんよ)で先頭車両のパーラーカーになる頃。ヨン・サン・トオといつても若い方には何、それ?でせうが昭和43年10月の白紙からの全面的ダイヤ改正は懐かしいところ。この「昭和の鉄道」の編集の妙は時代的には東海道新幹線開通が何といつても世紀の話題なのに敢へて新幹線に触れず。見事。新幹線が出来て鉄道の旅が面白くなくなる。内田百�まで。一等車をグリーン車なんてワケのわからない言葉で言い包めたのもダメ。中国の鉄道旅も高鐵の和諧号なんてのが走り始めて思い切りつまらなくなつた。
▼朝日新聞で大江健三郎の連載「定義集」の読みづらさ、文章の曖昧さは定評?だが今回はまだすっきりとした書きぶり。小澤征爾との偶然の再会と征爾の野球帽にサングラス、ジーンズの若さと昨年末のブラームスの一番との差異。その小澤征爾が「三・一一以後この国のテレビCMをみたしている社会的な気分の表現に、方向付けを感じないか」と語られたといふ。「ガンバレニッポン」「日本は大丈夫」に戦中派は<翼賛>を思ひ出す、と。次にビキニ環礁水爆実験の「死の灰」をあびた大石又七さんとの対話について。そして三つ目はその戦後の原子力の時代を政治家として先導した中曽根大勲位について。朝日の震災後の「あの」大勲位インタヴュー取り上げ大勲位の「戦後日本の最大の問題はエネルギーだった。(中略)敗戦から立ち直り、独り立ちするには、エネルギーをどう確保するかが大命題だった。着目したのが原子力だ。科学技術の推進と二本立てでいけると考えた。」「大変な被害を受けたけれども、今度の事故にかんがみて、よくそれを点検し、これを教訓として、原発政策は持続し、推進しなければならない。(中略)それが今日の日本民族の生命力だ。世界の大勢は、原子力の平和利用、エネルギー利用を否定していない。」のあの発言。で大江健三郎は最後、また少し曖昧なのだが
遠い話じゃない、再びフクシマが起きても、きみたちは、日本民族の生命力は不滅というのか?
ベルリンの新聞記者からは、そう問いかけられました。ヒロシマの過去、オキナワの現状について、政府が「忍従せよ」というのだと、きみは批判したが、あの言い方はいまも生きているか?
沖縄県民の大集会、辺野古での抵抗の持続を知っているだろう、と私は答えました。いまは本土の私らがそれに学ぶ。
と書いています。考えるに値する発言です。しかし大江健三郎という戦後の日本文学を代表するような、そしていわゆる反体制的な、平和や核に積極的発言を行ってきたこの作家が、中曽根大勲位のあの非常に責任が問われるべきことについての発言に、残念ながらこの戦後を代表する作家は大勲位の言葉を引用するだけで、それに具体的に何ら叱責もしないのです。戦後のリベラルの限界なのでしょうか。私はこれを読んで文筆を生業とするものならあえて「再びフクシマが起ったら私たちは、日本人の生命は滅びるのだ。」と言うべきだと思います。そして「沖縄はもう日本から離れるべきだ。」と。日本人である私は沖縄に侵略から戦争、いまもって戦後の謝罪の気持ちを言葉にするなら、「沖縄は日本を捨てるべきだ」と沖縄の友に言わなければいけないところまで来ているかもしれません。しかし、これは絶望ではありません。私の沖縄と一緒にありたい気持ちは言葉の少しの壁を超えて朝鮮半島や台湾、そして中国の友といまの時代を共生しなければいけないはずです。その明日のためにフクシマのような核禍はもう二度とあってはならないものです。……くらゐ(これでもまだ間怠つこいが)言ふべきでないか、大江君!
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