富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2005-11-27

十一月廿七日(日)晴。さすがに朝八時まで九時間ほど寝入る。家事雑事済ませ昼前に裏山に登る。脚の筋肉と関節に多少痛みあるが歩けぬほどではない。寧ろ鍛練、と裏山から大潭を10kmほど歩いたり軽く走ったり。海岸で松本健一竹内好論』少し読む。リパルスベイに出てバスで湾仔。ジャパンカップデットーリ騎乗のAlkaasedが制す。香港でもゼンノロブロイが一番人気。12月の香港国際レースのVase戦に参戦のAlkaasedOuija BoardにWarrasanの三頭が今日のジャパンカップに出ており馬券的には香港ではWarrasanが三番人気だったかで狙ったが。このAlkaasedデットーリは相性もいいようで。結果論だが。デットーリの馬券はいつも相性悪い。帰宅途中に菊正宗を購おうとジャスコに寄れば果物売り場に「シャロン」という名のブランドの「柿」が山積み。やはりよく見ればイスラエル産。小泉という名の果実園の葡萄がある程度の一致にすぎないが。帰宅して早晩に枝豆とハイボール。きちんと出汁をとった煮うどん。大河ドラマ義経』をようやく放送で(ビデオぢゃなく)見る。安宅の関勧進帳の名場面。義経は科白のない芝居で滝沢君は科白が噛む心配もないが富樫役の石橋蓮司が名演。一昨日N氏より頂戴した日本の雑誌数冊読み憂鬱な日曜の晩を過す。
▼中国の有人宇宙船「神舟六号」の飛行士二名が来港。香港大球場だかで数万人の市民集まり歓迎催事あり。テレビのニュースでは、会場で六、七歳の子どもが「中国人も宇宙に行くことができた」と誇らしげに。教育の成果。国宝級の飛行士二名は水曜日まで香港に滞在し次はマカオ。あちこち訪問して市民や学生と対話、だそうだが、厳しい訓練を経ての成功、夢はかならず叶う、一生懸命努力することの大切さ……といった通り一遍の話しか出来ないわけで滞在は寧ろ一泊二日くらいのほうがイメージ戦略としてはいいのだが。
▼昨日早朝けたたましいヘリコプターの音に目覚め何かと思えば金曜日午後パーカー山にて行方不明になった11歳の少年の捜索。自閉症児で父親が山あいに散歩に連れ出し父がMount Parker RdのBBQ場横のトイレで用を足す間に行方不明。昼前に数キロ離れた山あいで保護される。誘拐に非ず少年みずからがふらふらしたのが行方不明となった、という。もう一人の15歳で突然死の少年、が新聞に大きく報じられる。内地より79年に香港へ密航し香港に暮す父が十数年前に郷里の親戚の紹介で内陸住まいの女性と結婚し、この少年が生まれる。少年は内地で母のもとに育つが父はその後肺結核患い定職につけず月HK$3,000で生活保護受け妻の子の暮す内地を訪るも能わず。妻は生活にも窮し息子をこの夫の郷里に残した母に預け何処へか去る。その祖母が02年に老衰で逝去。少年は03年に親戚の者に連れられ二週間のビザで香港を訪れる。二週間経ちビザは失効するが故郷にこの少年を育てる者もおらず父と息子の香港での暮しが始まるが父に生活資金も労力もなく息子は不法滞在で学校にも行けず仕事にありつく術もなし。それどころか警察の路上での職務質問畏れ外出もままならず。結果、電燈に扇風機と電気釜以外に家電もない住居でテレビもラジオもない中で少年は二年間、憂鬱な日々を送る。唯一の外出は公共団地の敷地内を散歩するだけ。父が外出して持ち帰る新聞が、少年が唯一外の世界を知る術。24日、父が外出から戻ると床に少年が卒倒しており父が警察に電話し少年は救急車で病院に運ばれるが死亡が確認される。死因は突然死との由。父曰く、少年は内向的な上に父の貧窮を知り何が欲しいとも言わぬ性格。余り会話もなかった、と言うが、少年のベッドの壁に遺書らしき一文あり。この三年も学校にも行っておらぬ、と思えば15歳の少年の心情の吐露。
如果我倒星期一還不会死、我就選択活路、垪命活下去、甚麼事不再(在)乎。想自己的前景会是暗的、不会是明、只可能做不三不四的事、没有可能做正経的工作、因為很難伐得到、不然就割脈、吊頸、跳楼死。
と少年はぎりぎりのところで生きていたが将来は暗澹たるものでで割脈、吊頸、跳楼と自殺の思案。内地生まれの子女の香港での居住権は全人代常委により法解釈で否定されたが実際には香港政府の入境事務処でも個別に案件検討し状況により情状酌量もある、といふ。殊にこの少年の場合など内地に養育する者おらぬのだから助かれば助かった話。

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