富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

啓業邨団地

農暦正月十九日。雨。午前中、近くのジムのトレッドミルで走る。アプリで記録見るとトレッドミルも含め走つたのは今年になつて初めて。午後遅く雨のなか家人と608系統の路線バスで九龍湾へ。中環のOld Bailey街の店舗から近くのPMQに仮店舗を構へてゐたオリンピアグレコ埃及珈琲店が九龍湾の工業ビルに移転で今後は通販が主となるが一度くらゐお邪魔してみやうと出かけたのだが土曜の営業は午後3時迄。近くの九龍バス九龍湾車庫へ。

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老朽化も味はひのある巨大な施設。此処の入り口にあるカフェで珈琲とかのカップスリーブ(珈琲の紙コップに被せる「套」であるが日本語は適当な呼び名なく中国語なら差詰め「杯套」か、と思つたら正解)はKMBオリジナルだと家人の話で、そのカフェも土曜午後遅くはすでに閉店。もう一つ近くに真鍮魔法瓶の駱駝牌(キャメルブランド)の旧工場がホテルになつてゐて、そこを訪れる。

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ステンレス製のカップと杯墊(コースターも日本語で「下敷き」はだらしない)購入。駱駝牌は一旦製造中止となつたが今日日のレトロブームで再生産。昔の駱駝牌製品の展示もあり。雨が止んでゐるので九龍湾公園抜けて啓業邨の公共団地へ。6つの巨大な棟に20〜40平米の広さで4,200世帯が居住。推定人口11,700人だとデータにあるが1世帯2.9人は今だから、で昔はもつと過密だつたはず。随分と老朽化した団地に見えるが1981年の完成でアタシの齢に比べたらずつと若い建物なのだが。階下の商場は随分と再開発進み嘗ての啓業街市(公共市場)も何だか高級スーパー風に。

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この団地には広場に昔ながらのキノコ型屋根の熱食中心あり。

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そこの勝利飯店で早めの夕食。鹹菜胡椒猪肚鶏の湯(スープ)がしみじみと身体に滲みる味はひ。

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九龍湾まで戻り606系統のバスで帰宅。また雨が降り出したが濡れずに済む。帰宅してテレ東「アド街ック天国」見る。郷里・水府の特集。2011年にも水戸を特集したさうで結局のところ偕楽園の梅、納豆、弘道館や水戸学「しかない」のだが映画『カメラを止めるな!』で旧・芦山浄水場がロケ地でみとフィルムコミッションによる映画ロケ盛んは確かに「人気度最低」の茨城で注目できるのはこれくらゐか。ベスト20のうちタヴェルナといふハンバーグ屋(18位)やGroovyといふ田舎和風イタリアン(14位)は地方都市の何処にでもある程度なのだらうが、その2軒と七ッ洞公園といふ英国風庭園、この3つだけ知らなかつた。また水戸駅前から上市の大通り、今ではかなりシャッター化してゐるが、かつての電車通りが「水戸黄門通り」と呼ばれてゐるのは、この大通りの中心部で育つたアタシも知らぬこと。水戸といへば、で「けんちんそば」は、これは以前も日剩に綴つたがアタシは恥ずかしいことに、これは何処にでもある、とくに関東から東北など寒い地方では牛蒡や里芋、豚肉や人参など何でも入れた「けんちん汁」で一般的な冬の定番だとずつと思つてゐたが茨城のご当地料理。子どもの頃からよく食べてゐたが茨城でも県北の奥久慈の郷土料理といはれると久慈郡に祖のあるアタシの家では定番だつたのも納得。

ジムで運動のときに須磨帆で音楽聴いてゐる人は多いがアタシは荷風散人の断腸亭日剩の朗読を聴き乍ら。それに続く嶋中とのいやらしいオヤヂ対談は全集の付録で聴いてゐるが荷風先生の昭和20年8月13日の「谷崎君訪問」も断腸亭日剩で何度も読み返した話だがラジオで作家自身の朗読にしては名朗どころか「やっつけ仕事」で淡々と、これはこれで味はひあり。

農暦正月十八日

農暦正月十八日。薄曇。朝も倦怠感あると、ついコンビニで如何はしいRed Bullなんて飲んでしまふのだけれど久々にふとチョコレート贖ふ。カヽヲは精神的にも刺激性があり疲労回復にはやはり効果的。

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税務署より納税遅延のペナルティ分還付とお知らせ届く。これまで納税通知が郵便で届き、だつたのが昨年深く考へずeGovHKなんて網上服務に登録してしまつたことに起因する納税失念で税務署より兎に角、全額とペナルティ支払ひ、その上でペナルティ還付要望の手紙を添えよ、と。eGovHK - 富柏村香港日剩これが一ヶ月で今回のご容赦。

香港の行政長官・林鄭月娥(リンテイゲツガ)は北京中央寄りの姿勢で民主派からは評判も悪いが官吏としては飛びきり優秀な人であらう。親中の土共輩のやうに浅慮でもなく、あれ以上スタンスをリベラルに取れば北京中央に厭はれる。それでも、この広東省珠江下流デルタの「大湾区」への香港の着実な譲歩など見ると、もはや香港「特別行政区」や一国両制などメッキが剥がれたと思はざるを得ず。以前も書いたが90年代など「今後、深圳など近隣地域がいかに香港化してゆくかが課題」と「グレーター香港」なんて言葉を遊んでゐた頃が懐かしい。グレーター香港どころか「大湾区」で経済発展著しい広州から東莞、深圳、珠海の大湾区に香港は呑みこまれ、いかにそこで香港の地位保つかが課題の当世。上記の記事でタイトルは“Hong Kong will not be mainlandised”つまり大湾区というコンセプトでも「香港は大陸化しない」とリンテイゲツガは宣つてゐるが(mainlandiseといふ動詞が面白い)紙の新聞では同記事は”City’s autonomy key to bay area success”で「香港の自治は大湾区成功のキーポイント」と微妙な言ひ回し。一国両制は強く主張できないが大湾区の中で香港が本土に属す他の沿岸地域と異なる特区の体制を活かすこと、それは経済や金融での利便性でしかないのだが、それがあつての大湾区の発展の鍵となる、と。なにとも腸捻転になりさうなロジックだが、これがぎりぎり。それ以上の大陸との差異化は今の香港にはもはや許されない。

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同じくSCMP紙より香港競馬の話題2つ。
① 戦後(日本統治以降)競馬のない台湾で高雄が競馬再開を検討してをり香港ジョッキークラブと連携を……と仄めかしてが香港JCは否定。そりゃ北京中央の台湾政策あるなかで香港がそんなこと勝手にしたら叱られる。だが中共での競馬展開が足踏みするなかで香港JCとしては台湾に食指伸ばしたいのも事実。
② 香港JCが広東省従化に建設して実用順延されてきたトレセンで3月23日に初のトライアルレース開催の由。記事で見るとかなり立派な施設。パドックもあつて将来的には観客席も造設可。たゞ現状では中国では競馬は非合法。事情に詳しい海外競馬評論家のT氏の話では、この従化でのトライアルはクラス編成の番組ももう決まつてゐてエキシビションと言ひながら公式成績として残るといふ話もあり、と。「問題は勝ったときのオーナーの口取りで、構造上、馬は防疫エリア、馬主は防疫エリア外なので、その辺どうするのか」とT氏が案じるので「かなり長い口どり綱で」と笑ふ。

資生堂といふ文化装置

農暦正月十七日。春節の前から何年も前に入手して書架で眠つてゐる厚手の書籍を紐解く習慣がつき、こゝ数日は和田博文著『資生堂という文化装置』岩波書店を読む。

資生堂という文化装置 1872-1945

資生堂という文化装置 1872-1945

 

五百頁の大著で、こゝまで資生堂で而も1920〜30年代を舞台に書けるのか、とそれだけでも驚くばかり。本を開くと、そこに2011年12月29日の東京新聞の記事「銀座・資生堂の出雲信仰」といふ記事が挟んである。

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2011年に資生堂は銀座七丁目に新本社ビル完成させ、その屋上に元々本社ビルにあり工事中は汐留オフィスに仮設してゐた改めてお稲荷さん、満金龍神成功稲荷と名前はまぁ商売人らしいが、これを遷座させたことの記事。銀座七丁目は旧・出雲町。

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徳川家康の江戸開府で諸藩大名に土地造成を担はせ造成地にはその諸国の名を残し出雲町や尾張町、加賀町等。出雲町の角(古地図の赤星)が資生堂

資生堂は明治5に海軍薬剤監を辞した福原有信が日本橋本町で西洋調剤薬局として創業し同年、銀座出雲町16番地に転居し翌年、銀座通りに面した出雲町1番地(現在の資生堂パーラーある本社ビル)に移転。昭和初期の大恐慌資生堂も営業不振に陥り、そこで出雲町が機縁で出雲大社に縋り昭和2年に企業神社として満金龍神神社建立したといふ。この本の話に戻ると、他の洋医調剤薬局から資生堂が独自の道を歩むことになるのは1900年の巴里万博で欧州から米国を視察した有信が獨逸の薬局で薬ばかりか化粧品を売り米国では薬局が他の飲料店よりも高品質で高値のソーダ水やアイスクリームまで販売してゐたのを目の当たりにしたからで有信は帰国後の1902年に早速、店舗にソーダファウンテンを設へソーダ水等の販売を開始。氷水が二銭の時代に資生堂ソーダ水は10銭、アイスは15銭。これが好評得て1910年代後半には資生堂薬剤部飲料部となり20年代後半に「資生堂パーラー」となる。ところで、この本で何が読むに難儀したかといへば西暦表記で「1923年」とあつても、これがいつなのかピンとこない。えーと……昭和20年が1945年だから1926年に大正が終はり関東大震災大正12年だから1923年で……といち/\考へないといけない。

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アタシも普段は西暦しか使はないが、いかに明治からの歴史が思考では元号で刷り込まれてうぃるか痛感。資生堂が躍進を遂げたのは有信の三男・信三が1908年(明治41)に紐育の哥倫比亜大學薬学部に入学、卒業後は紐育のドラッグストアや化粧品工場で働き化粧品の製造、販売から積極的に習得し1913年(大正2)の帰国前には倫敦から巴里を訪れ当時の1910年代といふ巴里で藤田嗣治ら若い日本人芸術家たちと貴重な交流をして、これがその後の資生堂のイメージ商法にどれだけ活かされたことか。この信三に大きな影響を与へたのがニューヨーク留学時代に郊外に避暑で遊んだ折に「一寸変つた扮姿(なり)をした若い日本人が或る店で自分の描いたらしい絵を並べて売つてゐる」で出会つた川島理一郎。1915年(大正4)に信三が資生堂の経営に参画してからの大正から昭和にかけての資生堂の目覚ましい所謂「文化戦略」がこの本で明晰に記録されてゐる。当時の史料に基づく記述も凄いが各頁に必ず1枚挿入される当時の資生堂の雑誌や銀座を歩く風俗の写真、記事などの提示は圧巻。レイアウトも見事。


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▲左から序章→本編→終章
興味深いのは、そのレイアウトで、本編は本文は1段組みで見開き両頁の下に左右に図案が並ぶのだが序章(文化装置の誕生 ー 関東大震災以前)と終章(文化装置の崩壊 ー 日中戦争以降)は本文二段組で図案が左右端の中央であること。資生堂が文化装置として作用した年代と、その前後の時代の明確な差異化。著者のあとがきに拠れば、この1,100枚の原稿と530点の画像を書物の空間にまとめレイアウトを担当したのは松村美由起といふデザイナーの由。書物のレイアウトで、これほどインパクトを受けたのは初めて。それくらゐ、この本は資生堂といふ大正から昭和の文化装置を歴史に残すのに値する、それも日本一、世界でも有数の商業地である銀座は銀座=資生堂で、それを語るに値する書籍のボリューム、装丁がこの岩波書店の本に施されてゐる。


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それに敬服してアタシも入手早々に手元にあつた資生堂パーラーの包装紙をカバーにしてみてゐる。アタシにとつての資生堂は男子にとつて当たり前のやうに祖母や母が使ふ化粧品で始まり家に『銀座百点』と並んで時々置いてある『花椿』だつた。そして強い印象は高校生の頃に池上正太郎の随筆を読み、日本橋兜町の株屋で丁稚となつた十代の正太郎少年が小遣ひを貯めては頻繁に通つた資生堂パーラーの話で、同い年くらゐの紅顔の給仕の少年のことを書いてゐて、それが目に映るやうであつたこと。荷風散人が断腸亭日剩で銀座といへば富士アイスか資生堂。昭和の終り頃、東京で木挽丁での芝居見物のあと一寸贅澤で資生堂パーラーに久ヶ原T君やZ嬢(今の家人)と寄るやうになつた。いつまで経つても大正から昭和にかけての、あの時代のモダンが自分の美意識の元にある、とつくづく思ふ。

台湾で同棲婚姻法案が行政院通過。今後まだ立法院での審議、キリスト教団体や同性婚反対の世論への対応、具体的な民法改正手続き等必要だが同性婚合法化は欧米等近代主義の先進国のお家芸のところ「アジアで初めて」は画期的。台湾の大らかなで寛容的な社会性もあるがアジアで個人の尊厳、民主主義、法治が最も進んだ先進性といふのは台湾が中共の圧力的で国際社会での座位脅かされるなか画期的なこと。中共どころか日本よりも近代的な国家なのである。

黄竹坑

農暦正月十六日。夕方、路線バスのバス停にとんでもない待ち客。インター校の生徒など下校後で混雑する時間で、そこにこの待ち客ぢゃ乗れたものぢゃないと思つたら丁度、対向車線に華富行きのバスが近づいてゐて、こちらはガラガラ。それなら、それに乗つてしまはう。吉祥寺で新宿に行くのに立川行きに乗るやうな蛮行だが。さて何処に行かうか。路線地図をアプリで見ると黄竹坑に黄竹坑石刻といふ古跡ありバス停からそれほど遠くない。バスルートに面した中学校の横から石段を少し登る。折からの高温多湿で蚊がゐさうで暫く進むと落葉が階段で腐葉土のやうになつてゐて黄昏に奥の渓谷に下るあたりはさすがに霊感などないアタシも少し怖いほど。小渓の向かうの大きな石になるほど石刻の文様あり。

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案内板によると推定3千年前の古代人の仕業の由。バス通りに戻り少し下ると香港仔消防署。その屋上にケーブルカーあり。異様な光景だが「あっ」と気づいたのは近くに海洋公園ありそこの人気は崖の上を太平洋眺めながらのケーブルカーで、消防署の施設はその事故の場合の救助活動演習用か、と納得。李嘉誠ら富豪の家も並ぶ壽臣山の高級住宅地を眺める黄竹坑村の集落に入る。猫多し。

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村の入り口の商店の軒先で啤酒飲み今晩の競馬の予想して暗くなつた頃に帰宅。ほとんど徘徊老人である。

▼八旬的士司機四年升近倍 https://t.co/RoB283KtKT

香港で老齢のタクシー運転手多く時々かなり危ない思ひすることも少なからず。この記事によると香港でタクシー運転免許保持者は21万人(2018年)で60代が一番多く41%で50代が35%で続き40代と70代がそれぞれ10%と7%となり80代がこゝ5年で数上昇で2014年が642人だつたのが昨年は1,232人と92%増。逆に30代は2014年は9,483人だつたのが5年で4%減の9,101人だといふ。自動車の自動運転が進むが、それと老人運転のどちらの方が怖いのかしら。

▼騷亂60周年 台灣外國客禁入藏 https://t.co/jH3ijxemcR

中共チベット「動乱」60年に合はせチベットへの(台湾を含む)外国人入境制限。

元宵節

農暦正月十五日。元宵節。今日は廿四節気では雨水。

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早朝から霧雨が本降りだつたがアタシは湾仔の公立病院で年に二度だかの血液検査で病院に行き15番目で早々に検査終へ外に出ると大雨で雷鳴轟く。集中豪雨の黄色警報発令。昼には快晴。それが夕方になるとまた霧雨と不安定な天気。陋宅の漏水は昨日、の一級水喉匠・梁生の現場確認に基づき本日、雇はれの「壊し屋」が洗面所のタイル壁を水漏れ辿り更に削岩。家中、コンクリートの塵埃舞ひ惨憺たる状況。漏水の原因は主浴室から、この洗面所に敷かれた温水の水管と判明。

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この問題につき連日あれだけ大げさに而もマンション側配管に漏水の原因ありといふ見立てを主張し続け、これが当方の責任といふことで、さてこれをだう収拾させるか、と考へた時に、ふと先帝の終戦の勅旨が頭を過り「これだ!」と。そこで勅旨を発すことに(笑)。

朕深ク團地管理ノ大勢ト陋宅ノ現狀トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾讀者ニ告ク
抑ゝ住民ノ康寧ヲ圖リ團地共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所
曩ニ漏水原因解明ニ所以モ亦實ニ陋宅ノ自存ト團地ノ安定トヲ庻幾スルニ出テ團地管理事務所ノ言ヒ分ヲ排シ責任ヲ求ムカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス
然ルニ交渉已ニ二週ヲ要シ朕カ最善ヲ盡セルニ拘ラス状況必スシモ好轉セス
水漏ノ大勢亦我ニ利アラス
尚交渉ヲ繼續セムカ終ニ我カ生活ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
是レ朕カ責任ニテ漏水修理ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ一級水喉匠ヲ雇ヒ終始漏水ノ修繕ニ協力ノ意ヲ表セサルヲ得ス
且浸水被害ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ニモ多大ナル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ
御名御璽
平成三十年二月十九日

 ……といふことで漏水について管理事務所の非は問へず当方で修理せざるを得ず。梁匠は主浴室から洗面所への配管じたい老朽化してだらうから全面的に敷き直し提案される。洗面所で温水がないと困ることもないが、このまゝパイプカットして壁を埋めてしまふと将来的に面倒なことにもなりかねず直すことに。梁匠に洗面所の漏水カ所だけの修理で良いといふつもりではある。今日来た「壊し屋」はタイルやコンクリートの砕片など廃材持ち帰つてくれたが部屋は粉塵がひどく日暮れまでに生活の大きな支障ない程度までは掃除。くたくた。朝から工事に付き合つた家人は大変だつた。

農暦正月十四日

農暦正月十四日。雨。久々の本降り。季節風の影響で気温は摂氏16度まで下がる。陋宅洗面所水漏れは一級水喉匠の梁生来宅で、もう一度事前検査。梁匠は陋宅の主寝室にある浴室からの温水の配管に水漏れありといふ。そこに水栓を付け配水止め様子を見たい、と。それなら漏水のある第二洗面所で温水を出せば漏水も温水になるはずでは?兎に角、タイル壁壊してみるべきでは?とついアタシが言ふと物静かだつた梁匠は烈火の如く持論を捲し立てたが明日、タイル壁を粉砕することには合意される。さうでもせぬと工事の予定も見積りも立たぬ、と。晩におでん。台湾のSunnyHills鳳梨酥(パイナップルケーキ)久々に頬張る。

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▼昨日の競馬は沙田で、すつかり忘れてゐたが重賞レース日。Queen’s Silver Jubilee Cup(芝1400m)は……いつまで「英国領」的な冠レース名を引きずるのか(笑)、いっそのこと女皇銀禧紀念盃ならぬ習近平国家主席夫人に肖り彭麗媛紀念盃とでもしたら?と思ふが、化粧品安売大手・郭浩泉所有で昨年12月に香港マイル優勝(2着は佐々木大魔神のヴィヴロスだが3馬身差!)のBeauty Generation(J Moore厩舎、Z Purton騎手)がレース初盤から他を寄せ付けず香港マイル、先月のThe Stewards’ Cupに続きG1を3連勝の貫録、連勝を7に伸ばす。レーティングは、もやは上限?の137で(昨年11月より重賞で連覇でも不変)香港競馬で130超へはこの一頭だけ。続くHK Gold Cup(芝2000m)は昨年12月の香港ヴァースで追ひ上げるリスグラシュー(矢作厩舎、J Moreira騎手)を首差で逃げ切り優勝のExultant(A Cruz厩舎、Z Purton騎手)が1月のCentenary Vase(G3)に続き、今日も後方から1000mでギアを入れたかのように僅か200mで7頭抜きでハナを取り余裕で優勝。この馬のレーティングは129でBeauty Generationに続くが、この2頭は本当に他を寄せ付けぬ強さ。

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Jubilee CupはSize厩舎のBeat The ClockとConte2,3番人気で2、3着に入り三連単がHK$62でがち/\だつたがStewards’ Cupは2、3着に最低人気のSouthern LegendとSize厩舎でMoreira騎乗なのに11頭立てで6番人気のDinozzoが来たのだから競馬予想は難しい。それにしてもモレイラ騎手で複勝の配当が6倍なんて、あるんだね。私は前者はBeat The Clockの複勝でHKD13.5(ちなみにBeauty Generation の単勝はHKD12.5)と後者はExultantの単勝HKD21で地味に配当あり。本日はこの2レースのあと3月の香港ダービー前哨戦で4歳馬のHK Classic Cup(芝1800m)あり。一番人気馬(Dark Dream、D Purton騎手)2着で1着は14頭立てで13番人気92倍のMission Tycoon(K C Leung騎手)いずれもF C Lor厩舎。1月末の同じく4歳馬戦ではこれも1番人気だつたDark Dreamは4着でMission Tycoonは単勝オッズ205倍で2着に入り複勝31倍といふ高配当ながら、これが「まぐれ」と思はれ今回も人気薄。ちなみに1月末の4歳馬戦1着は2番人気のFuroreで、これもLor厩舎! 昨日も2番人気で4着。なぜLor厩舎でMission Tycoonを重視できなかつたのかアタシだけでなく全く勘が外れてゐる。だからといつてダービーもMission Tycoonが来るか、といふ判断が難しい。全体としては今日もぎりぎりの黒字で中継も見ずにレース直前予想にしては上出来。

中英合意で香港の中国返還決まり英国政府は香港市民への英国籍提供緩和措置を検討、これに中共が猛反発といはれてゐるが香港の英国系大手財閥Swire集団主席が1990年に英国政府に送信の文書公開される。これによると、この英国の国籍提供といつた救済策に靡くのは中共統治嫌ふ中産階級の比較的リベラルな市民で数も限られることで中共はこれに楽観視してゐる、といふ内容。その判断は確かに正鵠を得たもの。中共恐るゝべし。

片山杜秀『ゴジラと日の丸』

農暦正月十三日。夜中に目覚め暫く読書して二度寝したら変な夢を見た。聖上、それも昭和の先帝がタキシードの正装で香港で私とタクシーに乗つてゐる。畏くも私の手をとり、いろいろお話をされる。私が何か機転を利かしたつもりで行動したら陛下と別れてしまひ慌てゝ追ひかけるのだが(よく夢でさうなるのだが)走らうにも足がとんでもなく重く痙攣するやうで前に進めない。汗びっしょりで寤める。朝は小雨。本日、香港マラソン。高温高湿で走るには悪条件といはれてゐたが摂氏17度で雨はまだ走り易いか。

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香港マラソンに出てゐた若い時分が懐かしい。高速道路走るのは退屈すぎた。官邸で久々に週末の残務処理。今月は春節で実働日数少なすぎ。さすがに。晩に寒くもないが湯豆腐掬ひながらテレ朝で「空き家バスターズ」なる番組見てゐたら山形は上山の映画館「トキワ館」の廃屋所有者探しで平成の「ガメラ」シリーズ制作の脚本家の実家が此処。そりゃ映画館で育てば、かうなるわな。アタシは水戸の商店街に育つたが土地柄、映画は見放題。三笠会館といふ映画館あり 小学低学年の時に竹馬の友Y君の家が興行主で、いつも放課後Y君と木戸御免で客席どころか映写室まで遊び回りドリフの映画『誰かさんと誰かさんが大集合』も三笠が招聘したやうなもので水戸での撮影は今日は何処で何時からまで掌握でY君とロケ現場へ行くと特等席で撮影見られたのも懐かしい話、それがこの後、中学の自分は角川映画で高校生で先日綴つた清順監督の『ツィゴイネルワイゼン』あたりに繋がつてゆく……と思つてゐたら番組の取材は水戸で笠原不動尊、それが朽ち果てゝゐるといふ。桜川の支流、逆川河岸段丘で水戸神社の横。昭和50年頃の再建で鯉淵氏なる市議会議員は水戸下市の鯉淵提灯屋で、この笠原神社の土地の所有は吉田神社で市長まで出て来て今後の修復へ、と一寸出来すぎた話。NHK教育日曜美術館北斎の特集を見る。永田コレクション。ゲストの宮本亜門は要らない。晩に湯豆腐。ウチの湯豆腐は豆腐の他に鱈、春菊、ネギと椎茸が入り湯豆腐といふよりは豆腐鍋。

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今宵まだ冬か汗かき豆腐鍋 榴槤アイスに凍ゆ夜

ゴジラと日の丸―片山杜秀の「ヤブを睨む」コラム大全

ゴジラと日の丸―片山杜秀の「ヤブを睨む」コラム大全

 

 この数日、片山杜秀の「ヤブを睨む」コラム大全『』を読んでゐた。『週刊SPA!』に90年代から10年余連載されてゐたコラム(当初は無記名でタイトルもなし)を纏めたもので話題は怪獣映画から音楽、政治思想やカルトまで500本ほどが満載の573頁もの大著(文藝春秋、2010年)。今でこそ週刊SPA!もネットで気軽に読めるが当時こんな連載があつたことも寡聞にして知らず。片山本人もあとがきで高橋源一郎らかなりアンテナの高い方々も多分にこの連載を知らなかつたと書いてゐる。杜秀先生を今でこそNHK FMの「クラシックの迷宮」で皇紀二千六百年祝賀音楽を聞いたり時々テレビに出てゐるので「片山杜秀がどういふ人か」に驚かないが、それもなくたゞこの連載を読んだら博覧強記の奇才に唯々驚くだらう。それでも週刊誌の連載なら1回1本で読み流せるが、これを何百本も続けて読んでゐると、さすがにアタマがおかしくなる。「アメリカと日本人」といふタイトルで(それはいゝが)「野村沙知代江藤淳の共通点について」とか「若乃花とJCOに思う「日本人、幕末への退行」説」とか。映画の話も『ゴジラ』とか日本映画なら未だわかるが映画も米国でKenneth Angerが17歳のときに制作した短編映画“Fireworks”とか。


由紀夫さんも真っ青の至極の痛みのある恍惚。あれこれ杜秀ワールド炸裂なのだが自嘲的なネタも少なからず笑える:杜秀さん自身が若い頃に「オウム信者」と電車の中で思はれヘンなオヤジから攻撃をくらった話とか、そりゃあの風貌でしかもそのときは「白の襟なしシャツに白いズボン、腕には修験道系の神社から貰つた紫の数珠をつけていた」といふのだから。そして、この連載の最後を飾るエッセイなど夢の話で、朝寤めると中学生になつてゐた自分は学校は遅刻でズル休み決込み高円寺の賭場で遊ぶことにすると、その賭場は寝床みたいな古本屋の地下にありヤクザの代貸し平田昭彦中盆成田三樹夫で客が伊藤雄之助田中春男中村伸郎で、彼らに「学生は勉強しろ」と諭され、気がつくと学校の大教室の通路に寝てゐた自分は早く教室に行こうと高さ25mの天井まで伸びる急傾斜のすべり台を駆け登らうとするが失敗して悄気てゐると、そこに大川周明が現れ自分の部屋に誘つてくれるのだが

(大川)博士の部屋の部屋は学校の最上階にある。一緒に昇降機に乗ると、それはどんどん上昇し、数千メートルは上がったかと思われたが、まだ最上階には着かない。そのうち昇降機はガラス張りになり、外の景色がよく見える。眼前には富士山と天山山脈と大仏様があまりに巨大に生々しく、どれもきれいに同じ高さで並んでいる。絶景だ! そこで博士が言った。「あれこそ日中印提携の象徴です。この三国が渾然一体となってこそ大東亜秩序は完成するのです」
しかし、どうも手前の東京タワーが視界を幾分さえぎる。「博士、あの醜悪な建築を壊してしまいましょう」。するとモスラの幼虫が現れ、東京タワーをポキッと折ってしまった。「イヤアー、愉快、愉快!」 ぼくと博士は依然上昇し続ける昇降機の中でいつまでも笑い続ける。「アハハハハー、アハハハハー!」
夏の明け方、夢を見て、幸せな気持ちになった。

って、どうよ? こんな話を読んだらアタシの夢に昭和帝が出てきたもおかしくない。この数百本の連載エッセイのなかで2001年8月15日から2回掲載の「A級先般だけが悪いのか? 影山正治東久邇宮稔彦の精神に還れ!」を無断転載。それに続く「七十年前の浜口内閣と小泉内閣は似すぎていて怖い!」も、よくぞこゝまで対比して見せる……と面白い。

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