富柏村香港日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴る日剩でござゐます

資生堂といふ文化装置

農暦正月十七日。春節の前から何年も前に入手して書架で眠つてゐる厚手の書籍を紐解く習慣がつき、こゝ数日は和田博文著『資生堂という文化装置』岩波書店を読む。

資生堂という文化装置 1872-1945

資生堂という文化装置 1872-1945

 

五百頁の大著で、こゝまで資生堂で而も1920〜30年代を舞台に書けるのか、とそれだけでも驚くばかり。本を開くと、そこに2011年12月29日の東京新聞の記事「銀座・資生堂の出雲信仰」といふ記事が挟んである。

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2011年に資生堂は銀座七丁目に新本社ビル完成させ、その屋上に元々本社ビルにあり工事中は汐留オフィスに仮設してゐた改めてお稲荷さん、満金龍神成功稲荷と名前はまぁ商売人らしいが、これを遷座させたことの記事。銀座七丁目は旧・出雲町。

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徳川家康の江戸開府で諸藩大名に土地造成を担はせ造成地にはその諸国の名を残し出雲町や尾張町、加賀町等。出雲町の角(古地図の赤星)が資生堂

資生堂は明治5に海軍薬剤監を辞した福原有信が日本橋本町で西洋調剤薬局として創業し同年、銀座出雲町16番地に転居し翌年、銀座通りに面した出雲町1番地(現在の資生堂パーラーある本社ビル)に移転。昭和初期の大恐慌資生堂も営業不振に陥り、そこで出雲町が機縁で出雲大社に縋り昭和2年に企業神社として満金龍神神社建立したといふ。この本の話に戻ると、他の洋医調剤薬局から資生堂が独自の道を歩むことになるのは1900年の巴里万博で欧州から米国を視察した有信が獨逸の薬局で薬ばかりか化粧品を売り米国では薬局が他の飲料店よりも高品質で高値のソーダ水やアイスクリームまで販売してゐたのを目の当たりにしたからで有信は帰国後の1902年に早速、店舗にソーダファウンテンを設へソーダ水等の販売を開始。氷水が二銭の時代に資生堂ソーダ水は10銭、アイスは15銭。これが好評得て1910年代後半には資生堂薬剤部飲料部となり20年代後半に「資生堂パーラー」となる。ところで、この本で何が読むに難儀したかといへば西暦表記で「1923年」とあつても、これがいつなのかピンとこない。えーと……昭和20年が1945年だから1926年に大正が終はり関東大震災大正12年だから1923年で……といち/\考へないといけない。

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アタシも普段は西暦しか使はないが、いかに明治からの歴史が思考では元号で刷り込まれてうぃるか痛感。資生堂が躍進を遂げたのは有信の三男・信三が1908年(明治41)に紐育の哥倫比亜大學薬学部に入学、卒業後は紐育のドラッグストアや化粧品工場で働き化粧品の製造、販売から積極的に習得し1913年(大正2)の帰国前には倫敦から巴里を訪れ当時の1910年代といふ巴里で藤田嗣治ら若い日本人芸術家たちと貴重な交流をして、これがその後の資生堂のイメージ商法にどれだけ活かされたことか。この信三に大きな影響を与へたのがニューヨーク留学時代に郊外に避暑で遊んだ折に「一寸変つた扮姿(なり)をした若い日本人が或る店で自分の描いたらしい絵を並べて売つてゐる」で出会つた川島理一郎。1915年(大正4)に信三が資生堂の経営に参画してからの大正から昭和にかけての資生堂の目覚ましい所謂「文化戦略」がこの本で明晰に記録されてゐる。当時の史料に基づく記述も凄いが各頁に必ず1枚挿入される当時の資生堂の雑誌や銀座を歩く風俗の写真、記事などの提示は圧巻。レイアウトも見事。


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▲左から序章→本編→終章
興味深いのは、そのレイアウトで、本編は本文は1段組みで見開き両頁の下に左右に図案が並ぶのだが序章(文化装置の誕生 ー 関東大震災以前)と終章(文化装置の崩壊 ー 日中戦争以降)は本文二段組で図案が左右端の中央であること。資生堂が文化装置として作用した年代と、その前後の時代の明確な差異化。著者のあとがきに拠れば、この1,100枚の原稿と530点の画像を書物の空間にまとめレイアウトを担当したのは松村美由起といふデザイナーの由。書物のレイアウトで、これほどインパクトを受けたのは初めて。それくらゐ、この本は資生堂といふ大正から昭和の文化装置を歴史に残すのに値する、それも日本一、世界でも有数の商業地である銀座は銀座=資生堂で、それを語るに値する書籍のボリューム、装丁がこの岩波書店の本に施されてゐる。


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それに敬服してアタシも入手早々に手元にあつた資生堂パーラーの包装紙をカバーにしてみてゐる。アタシにとつての資生堂は男子にとつて当たり前のやうに祖母や母が使ふ化粧品で始まり家に『銀座百点』と並んで時々置いてある『花椿』だつた。そして強い印象は高校生の頃に池上正太郎の随筆を読み、日本橋兜町の株屋で丁稚となつた十代の正太郎少年が小遣ひを貯めては頻繁に通つた資生堂パーラーの話で、同い年くらゐの紅顔の給仕の少年のことを書いてゐて、それが目に映るやうであつたこと。荷風散人が断腸亭日剩で銀座といへば富士アイスか資生堂。昭和の終り頃、東京で木挽丁での芝居見物のあと一寸贅澤で資生堂パーラーに久ヶ原T君やZ嬢(今の家人)と寄るやうになつた。いつまで経つても大正から昭和にかけての、あの時代のモダンが自分の美意識の元にある、とつくづく思ふ。

台湾で同棲婚姻法案が行政院通過。今後まだ立法院での審議、キリスト教団体や同性婚反対の世論への対応、具体的な民法改正手続き等必要だが同性婚合法化は欧米等近代主義の先進国のお家芸のところ「アジアで初めて」は画期的。台湾の大らかなで寛容的な社会性もあるがアジアで個人の尊厳、民主主義、法治が最も進んだ先進性といふのは台湾が中共の圧力的で国際社会での座位脅かされるなか画期的なこと。中共どころか日本よりも近代的な国家なのである。