富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

甲辰年四月廿日

気温摂氏19.3/25.8度。曇。昨日の東京建築祭で神田から日本橋を経て茅場町まで。そして築地から新富町、八丁堀、銀座を経て丸の内まで歩いた中で何が一番印象深かつたか、といへば京橋ランプ周辺から見下ろす首都高の流れだつたかもしれない。
長財布がずいぶんと厚く、重たくなつてしまひ小銭入れ兼カードケースも中身を整理して少なくとも水府の地元用と東京用に整理する。ついでにカードホルダーに入つてゐたカード類も整理する。香港の居住の当時はまだ今のやうなアプリになる前で塑料カードがまぁ手元に随分とあるは/\。菓子など食品安売りの759阿信屋からゴディヴァ、Watson’sのワインセラーのメンバーカードにAmexのプラチナカードまで。これらにプラカードはハサミを入れて処分。


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先週土曜日に放送されたこの番組を配信で聞く。

小澤征爾研究(3)小澤征爾と齋藤秀雄 - クラシックの迷宮 - NHK

水戸芸術館で水戸室内管弦楽団の定演と同じ時間にこの番組では小澤征爾の貴重な音源が流れてゐたのだ。水戸芸術館では常連の片山杜秀さんのお姿は見受けられなかつたが、この番組は生放送ではない。だが同時刻にこれがラヂオで流れてゐたことも、やはり水戸芸術館の次期館長には片山杜秀を推したいと思ふ。山田耕筰の日本交響楽団(協会)から昭和元年に近衛秀麿ら中心メンバーが協会離脱で結成したのが新交響楽団斎藤秀雄もその流れに従ふ。昭和10年に近衛が新教交響楽団(新響)追はれ昭和11年にジョゼフ ローゼンストック招聘される。この新響率ゐる新響の演奏にレコオドで聴き驚くばかり。斎藤秀雄晩期の指揮でチャイコフスキーのバイオリン協奏曲ニ長調から第3楽章。当時の佐藤陽子のバイオリン🎻が凄すぎる。そして本日の番組で最も印象が強烈だつたのは小澤征爾が1959年のブザンソン🇫🇷でのコンクール優勝のあとトゥールーズ放送交響楽団を指揮した音源。エグモンド序曲やハンガリー舞曲ⅤとⅥ、カバレフスキー組曲「道化師」からギャロップ、そしてフランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団でのヨハン シュトラウスの喜歌劇「こうもり」序曲など。圧巻。当時24歳の小澤が欧州で指揮台に立てば東アジアのお猿がどれだけ指揮の真似をするのか、といふやうな印象のなかで、これらの楽曲の演奏の見事さ。弱冠オザワセイジの方が欧州のオケの実力を上回つてしまつたとは。言葉の通じず言語化できない芸術の域。ところでアタシは斎藤秀雄といふ名前を聞くと脳裏に浮かぶのは秀雄の役をNHKのドラマで演じた山本学の姿なのだつた。