甲辰正月十一日。気温摂氏9.9/23.0度。湿度75%。曇。まるで雨水の頃の香港のやうな鬱陶しい春の暑さ。
今朝、やつと開花が見られた水仙(フサザキスイセン)だつたが夕方見ると何者かに刈られてゐた。切り口から見て通りがゝりでの衝動的な花摘みではなく刃物持参での確信犯。公共施設の敷地内で器物破損、窃盗に該当。
小田雅久仁の『残月記』はそれなりに面白く読んだので(富柏村日剩)それが昨年の九月だつたから二ヶ月前に出版されてゐた『禍』を私立図書館で予約したら27番目だつたかで、それがやつと廻つてきて一読したがアタシには面白くない。非現実的な状況に突然追ひ込まれ破茶滅茶な展開のナンセンスも筒井康隆だと面白いのに。ストーリーの展開は斬新なのに状況説明的な文章表現がダメだつた。ルビなど振る必要もない漢字のルビも気になるところ。
野矢茂樹『言語哲学がはじまる』(岩波新書)読む。言語学とか言語哲学とかだとノーム=チョムスキーや記号学でソシュールとかは少し齧つてはみたがウィトゲンシュタイン、フレーゲやラッセルなんて全く読んだこともなくて野矢先生が「ミケは猫だ」といふ文から言語哲学を平易に説いてくれてもアタシには何だかよくわからない。通読しての読後感として
岸田文雄は吉田茂と同じ内閣総理大臣だ。(a)
岸田文雄は吉田茂と違ふ内閣総理大臣だ。(b)
といふ例文を並べた場合に、この (a) と (b) の文章の違ひを意味や言葉の成分、意味するものと意味されるものの分析で、それなりにはっきりと分別ができれば、その程度の言語分析能力があれば良いのではないかしら、と思はされた。ところで「思つた」で良いのに、それを「思はされた」と表現ることだけでもすることだけでもおかしなことなのだが。