富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

悪文とは何か

辰年正月初十。気温摂氏4.5/18.4度。曇。風(最大)13.9m。朝は内科の2ヵ月に1度の定期的な診療が10時まで。夕方は耳鼻科に行つたら花粉症の季節の混雑で90分待ち。左耳だけが時々爛れて前回といつても一昨年7月だつたが処方されたステロイド系の軟膏を少し塗ると治るのだが、その軟膏がなくなりかけたので。耳鼻科の先生曰く「その薬はもう生産中止なので代替の塗り薬出すから」。良い薬だつたのだが薬価低く製薬会社にしてみれば作れば作るほど赤字で新薬は薬価も高いが従来からの薬は薬価見直しもされず結局は生産中止が見込まれてゐるやうなもの、と。なるほどよくわかる。病院での待ち時間はうんざりと思はれるがアタシは本を読むには絶好のタイミング。病院のあの消毒剤のにほひも落ち着くのだ。朝と夕方の病院の合間には超級銭湯に寛ぐ老人生活な一日。

岩淵悦太郎『悪文』(昭和35年日本評論社)を読む。国語学者岩淵悦太郎(1905~1978)はアタシにとつては岩国(岩波国語辞典)の編者である。悪文について懇切丁寧に何が悪文の原因なのかを政府文書から雑誌まで多岐にわたる例文の引用で明らかにする。無駄に長文で読みづらい文章を綴り係り結びや修飾などが正しくないのが悪文。だとするとアタシのこの日剩などまさに悪文なのだが係り結びや修飾、それに語順などきちんとすれば良いわけでアタシがそれをきちんと習つたのは谷崎や才一の文章読本でもなく本多勝一『日本語の作文技術』から。長文でも文章の構成がきちんとしてゐれば読点などかなり省略しても文章は頭から読んでいけばすんなりと文末まで読めるはず。なので「悪文の象徴」のやうに例に挙げられる日本国憲法前文も米国による策定で英語から日本語に訳されたから日本語として悪文なのだといはれるところだが岩淵先生的には長文といふ点では宜しくではないが文章の係り結びといつた点から見れば実にしつかりとした文章の構成であつて順繰りに読んでいけば内容はきちんと理解できるといふことになる。もう一冊同じタイトルで中村明『悪文─裏返し文章読本』(ちくま新書)も読んだが、こちらは悪文の構造などを国語学的に分析してゆく内容で、これを読んだからといつて自分の悪文が改善されるといふものではない。

図書館の本を借りたら、できるだけ大切に扱ひ本の損傷ないやうにする。それが本を読みかけで頁の角を折り曲げたり文章に線を引く輩がゐるのは困つたもの。今回の悪文本も誰かがやつた鉛筆での線引きを消しゴムで消して返却。ついでに傷んだ栞紐(スピン)も水で薄めた不易糊で整へてやる(これは図書館の本は本当はやつてはいけないのかもしれない)。