富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

うかれ坊主ならぬ、うかれ晋三

fookpaktsuen2013-05-04

農暦三月廿五日。お仕事で自動車に乗り沙田から粉嶺を抜け天水圍、空港から市街に戻り山頂へ。お邸にてパーティあり末席を汚す。Grace ViveyardのTasya's Reserveのいくつかの葡萄種、飲み比べ。帰宅してマンダリンオリエンタルホテルのサラダと鮭のクスクスでFont de Blanche Cotes du Rhone 09年飲む。HK$80くらゐの赤なのだが、この手の食材にはかなり合ふと聞いてゐたが本当。かなり久々に岩波書店の『図書』読む。今年の四月号。井出孫六氏の随筆が秀逸。石橋湛山平和賞の選考で南京出身の留学生の「飲水飲源」といふ論文が優秀賞に選ばれ、その学生は南京で日本語学ぶに難あり周恩来の故郷、淮安で日本語学習し、その恩来先生の記念館で湛山を識り湛山の育つた山梨の大学に辿りついたといふ。この留学生は孫六先生に聖徳太子の十七条憲法の第一条「和」は今の日本の憲法に通じますね、と語つた由。その我が国は改憲への手法着々と整へられ自民党国民投票は18歳以上にと策略中。成人とする年齢と選挙権はそのままに国民投票のみ前倒しで、あまりにも改憲のためだけの浅慮。言葉もなし。これがどれほどの暴挙か、と説いたところで晋三は「憲法に対し国民が意思表示する機会を事実上奪われていた」「たった3分の1をちょっと超える国会議員が『変えられない』と言えば国民は賛成にしろ反対にしろ意思表明の手段すら行使できなかった」なんて宣つてしまふのだから晋三に付ける薬なし。前述の『図書』には他に岩佐美代子『じわが湧く』面白い。歌舞伎芝居で「名演に感銘した客席全体から一種のざわめきが自ずから波のように湧き怒る状態」で、筆者はこの「じわが湧く」で自らの体験で挙げるのは昭和十三年の団菊祭の妹背山。大判司が七代目幸四郎、久我之助が十五代目(羽左衛門)、梅玉の定高。当時、岩佐刀自十三歳。さらにこの日は六代目の「としま うかれ坊主」あり。この描写を写せば

菊五郎の一人踊り、「うかれ坊主」とセットになるのは「羽根の禿」のはずなのに「年増」なんて一体何?とみんなが思ったのだが、極端に揉み上げを長くとって顔を細く見せ、やゝしどけなく着くずした縦縞の衣装で肥った体型をカバーした六代目が、下世話な中年の町女房として、とりとめない江戸風俗を踊りこんでいくうち、女髪結の描写……全く何の小道具もないのに鮮やかな手さばき一つで、口にくわえた毛筋棒や手にもつ櫛はおろか、鏡台に向う女客の後姿、結い上がっていく髪がたちまちあり/\とその場に現前し、思わずも再びのじわが起った。

と本当に六代目の姿が瞼に浮かぶ。改憲問ふ国民投票になつて反対意見が過半数超へ「じわ」に接してみたいもの。できれば何からの要因で晋三内閣が改憲動議前に総辞職でもしてくれると大変ありがたいのだが。