富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

最後の?憲法記念日

fookpaktsuen2013-05-03

農暦三月廿四日。憲法記念日。先日とある席上で雑談の際に何気なく「私は護憲ですから、護憲」と述べたら誰も何も聞かなかつたやうな素振り。今どき憲法改訂反対といふのはまるで戦前のアカ、護憲は口にしてはいけないことらしい。「私はけして護憲ではないでけど96条改訂には反対」なんて言ひ方が一般的良識らしい。今日の朝日新聞は一面から社会面まで平和憲法護持、さすがにスポーツ面で「私も憲法改正には反対です」なんて奇特な金メダリストはゐなかつたが……そんな選手ゐたら協会から干されるかしら、兎に角、国民の過半数憲法改正に賛成なのだから反対のアタシは物言へば唇寒し春、晋三といふわけで、それにしても五月だといふのに寒い日が続くが、この憲法改正に賛成か反対か、は金澤のH君が指摘してゐるやうに

憲法改正に賛成ですか反対ですか」っていう質問、質問として成り立ってないでしょうが。なんで普通に聞いたり答えたりできるのかね。どこをどう変えるかによるでしょうよ。「賃金制度改定に賛成ですか反対ですか」と聞かれたら、上がるか下がるかわからないうちは答えられない。答える方がバカである。

と、御意。朝日新聞は一生懸命、単なる憲法改正反対ではなく、欧州でも改憲のハードルが高いのは何故か、その一方、東アジアではどうして肥大したナショナリズムで国家主権を絶対化する言説が幅をきかせるのか?と六ツかしいところを指摘し(大野博人)、最高裁長官の一票格差についての憂慮、社説も「変えていいこと、ならぬこと」と題して9条ではなく96条改訂が何が危険なのか、と指摘し、さらに石川健治憲法学、東大)が96条の「勝つための、立憲国家たる日本の根幹に対する反逆であり革命」と指摘する。その通りなのだが、香港のニュースでも東京の街頭で「やっぱりそろそろ憲法改正してもいいんぢゃないっすか?」なんてさば/\と答へる民草には、憲法改正をしやすくする手段の何がいけないのか?はまるっきりわからないだらう。それに対して都新聞が「筆洗」で

きょうは憲法記念日改憲が具体的な政治日程に上がってきたのは、戦争のおびただしい犠牲者の上に立つ憲法から「血の色」があせてきたことと無縁ではない。政治や外交の機能不全の責任を憲法に押しつける戦後世代のリーダーがいる。戦争の記憶を伝えようと、戦後七十年近くなって記念館を建てる人たちがいる。政治家が歴史に学ばない国は危うい。

と述べ(こちら)、社説「憲法を考える 歴史がつなぐ知恵の鎖」

憲法改正を叫ぶ勢力の最大目的は、九条を変えることでしょう。国防軍創設の必要性がどこにあるのでしょうか。平和憲法を守る方が現実的です。

といふ単刀直入が潔い。

たとえ国民が選んだ国家権力であれ、その力を濫用する恐れがあるので、鎖で縛ってあるのです。また、日本国民の過去の経験が、現在の国民をつなぎ留める“鎖”でもあるでしょう。憲法学者樋口陽一東大名誉教授は「確かに国民が自分で自分の手をあらかじめ縛っているのです。それが今日の立憲主義の知恵なのです」と語ります。(略)首相は九六条の改憲規定に手を付けます。発議要件を議員の三分の二から過半数へ緩和する案です。しかし、どの先進国でも単純多数決という“悪魔”を防ぐため、高い改憲ハードルを設けているのです。九六条がまず、いけにえになれば、多数派は憲法の中核精神すら破壊しかねません。

と、これくらゐなら低い民度でも理解できるのかしら。この社説かなり樋口先生の言説に基づいてゐるが先生は「国民」がたぶん漠然とした立憲主義だの民主主義だのよりは自民党を支持するだろうといふ前提で「国民主権」で晋三に対抗するのはスジ悪で寧ろ守るべきは国民主権を超えた価値=憲法13条*1なのだ、といふ側近からの話も耳にする。来る11日には第一東京弁護士会憲法記念シンポジウムあり樋口先生が基調講演される由。それにしても先生のお写真も素敵。役者の如し、屋号は仏蘭西屋、か護憲屋かしら。いずれにせよアタシらのやうなアカの民草がどれだけ騒ぐところで当の晋三は懇ろなプーチンに会つたロシアから中近東、土耳古へ。都知事猪瀬某のイスラム蔑視発言も「なかつたこと」の如し。土耳古では「過酷な事故を経験した日本の水準の高い原子力技術に対する期待は高く、そうした期待に応えていく」とのノーテンキ発言に呆れて言葉もなし。この国に過去であるとか惨禍からの反省、自重、深慮といふものはあるのかしら。夏の参議院選自民党圧勝。で憲法改正国民投票。「参院選後なるべく早く拙速で96条改正を国会で通し、それを国民投票で否決する、乾坤一擲の勝負にかけるしかない」といふ憲法改正反対のかなり策略的なアイデアも耳にする。内田樹先生は改憲の議論はけして悪いことではない、とした上で

結論は常識的なところに落ち着くと思います。あまりに難しい選択なので、そんなに急かさないで、ちょっと待ってほしい、と。「とりあえず護憲」を国民は選択するだろう、と僕は思っています。

と仰るが、この憲法改正を「あまりに難しい選択」とそも/\国民が思つてゐるかしら。わりと気軽。気持ち的には伊勢神宮遷宮のやうなもので、本当は神道的にはとても大切なことらしいが「まぁ、きれいになったねぇ」とすかっとして終はる程度だから。今になつて思ふと敗戦と戦後の民主主義だつてレジスタンスしたわけでもなく「まぁ、なんだかいゝ世の中になったねぇ」でせう、きっと。本日、午後遅くから夕方、雨が本降り。晩に一旦帰宅してから濡れてもいゝ格好で太平街市。修理した皮靴の受取りだが太平街市の小汚い飲食店の並ぶなかに、またこれもお粗末な造りの診療所あり(写真)。おそらく老齢の女医さんがもう何十年も、かしら。あと何年かで引退、後継者もゐないし。診療時間が朝九時から午後一時、午後六時から七時ってのも何だか素敵。

*1:すべて國民は個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に對する國民の權利については公共の福祉に反しない限り立法その他の國政の上で最大の尊重を必要とする。