富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

「我再次衷心向大家致歉」と貧官曽

fookpaktsuen2012-06-01

農暦閏四月十二日。陽暦五月ついに一日も休みとらぬまゝ終はつてしまつた。アタシの人生のなかでオフが全くなかつた一月といふのは人生で初めて。さすがに夜は十時半くらゐに倒れるやうに寝台に伏せる晩が続く。斃り損なひになるよか過労死でもして「惜しい人を亡くした」とでも最後くらゐ言はれたいもの。たゞ一部には或る事でアタシの存在を強烈に嫌ふ御仁もをり湾仔で「打小人」されるくらゐならいゝが暗い道で刺されるのではないか、と今日の打ち合はせでネタにされる。珍しく日が暮れぬうちに帰宅。簡単に明太子のパスタ。シャルドネ(新西蘭のジャクソンエステート)数杯。テレビのニュース見たら貧官曾が昨日の審計署と利益衝突防止委員会の報告を受け簡単に三分の謝罪。「因為我個人處事嘅不當,令市民對香港保持廉潔奉公嘅信心有所動搖,亦都對公務員感到失望,我再次衷心向大家致歉」と謝罪は先日の立法会での嗚咽に続き二度目。但し今回は立法会での罵声浴びなかつたぶん感情の高まりもなかつたか咽ぶだけで涙は流れず演出今一つ*1新華社にまで報道で嗤われ所詮、小人物ぶりあからさま。それでもこの男で任期もあと一ヶ月までもつたのだから香港の行政長官職など、どれほどのものか、といふこと。咽いで民草に媚びる貧官曾とは反対に回春は前任の董建華。かなりの低信望で行政長官をば事実上更迭されたが今になつてさすが裕福な家の出(と、それだけなのだが)で貧官曽に比べ卑しからず、政治力、リーダーシップには欠けるが個人的には本当にいゝ人、と(董建華に親しい人はみんなそう絶賛)。今日もさる国際コンフィデンスに来賓として参加で行政長官交代について感想尋ねられ普段は香港政府への言及さける董建華は自分は後任特命のCY梁の支持者だ、と前置きして“I won't be back!”とジョークで観衆の大きな笑ひと拍手誘ふ。
大飯原発再稼働につき橋下は一転して容認の姿勢。まずは脱原発で民草の支持を得、夏の大阪の電力が15%不足となると「それぢゃ生活できないでしょ」と原発再開容認で電力不足回避の上で政府に貸しをつくる。まぁ調子の良さもこゝまで来るとお見事。東海村の村上村長は「脱原発依存」掲げながら、すぐに実行に移せない政府を「終戦の決断ができず結果的に沖縄、広島、長崎の人々に多大な犠牲を払わせた日本の指導者たちと同じ」と非難。御意。
▼映画監督の新藤兼人氏ご逝去。齢百。先月「最後の手紙」見たが上映後の会場のあの拍手。アタシにとつては何といつても「裸の島」(1960)が最も強烈な印象に残る。反戦。大切なことだが反戦は「戦争にならない」状態を作ることが目的。映画はその手段であるべきだが制作者も観衆も容易に反戦映画の存在が結果と誤解するから。

*1:曾蔭權低下頭、合上眼、皺着眉、合緊雙唇、下顎微震,足足達15秒之久,正當傳媒以為他會流淚表示悔疚,嘆勻全球頂級酒店、花盡納稅人金錢的他卻擠不出一滴眼淚。(蘋果日報