富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-11-12

十一月十二日(月)快晴。文藝春秋十二月号で藤原正彦「教養立国ニッポン」一読。教養が矜恃として大切は確かだが藤原先生、アナタには言はれたくない、といふ感じ(笑)。今更教養など謳つても戦後六十年毀したるもの多し。吉田秀和先生が若い頃に青山二郎美術評論家)の家に晩遅くまで語らひ翌朝目覚めると隣の布団で中原中也
天井に 朱きいろいで 戸の隙を 漏れ入る光 鄙びたる 軍楽の憶ひ 手にてなす なにごともなし (朝の歌)
とぼそぼそと自作の詩を歌つてゐる。その時、中也24歳、秀和17歳。「詩人の魂のやうな男。美の世界の存在を、ぼくに啓示してくれた」と回顧される94歳の吉田先生(先週の朝日新聞より)。また花袋が書いてゐる、14歳の向学の少年・柳田国男が花袋に出会ふ、そこでの語らひ。文学、政治、スポオツ、硬派、寮生活、料理屋での騒ぎ……そんなもの全てが相成つてこそ、の教養。けふび、村上春樹がせめてもの文学、政治は遠く、スポオツは亀田のボクシング、学校など教養の「きよ」の字もなく、でファミレスとコンビニの時代ぢやぁ、ねぇ……今更「教養立国」と言つても。ところで先週末の古本バザーで入手の手嶋龍一・佐藤優『インテリジェンス 武器なき戦争』(幻冬舎新書)でも情報戦の重要性など説いてゐるが結局、本の帯の「東京は、極秘情報が集積するインテリジェンス都市である」なんてコピーが読者を惹きつける。結局、国際情報の重要性よりも「なんだ、東京も意外と捨てたものぢやないな」なんて自己満足こそ日本人好み。日本の経済力など見ただけで東京並みの巨大都市であれば情報都市であるべきなのは倫敦、巴里、紐育たて当然。香港も然り。当たり前のことで、それをいちいち「東京は、極秘情報が集積するインテリジェンス都市である」なんて言つてゐることぢたひがナンセンスよ。諸事忙殺され帰宅してドライマティーニ二杯。昨日の湯豆腐の出汁で間引き大根など煮て食す。昨晩読んだのは井上直幸『ピアノ奏法』の単行本。今晩はDVDで井上直幸ピアノ奏法〈第1巻〉作曲家の世界 バッハからドビュッシーまで、を観る。信州の山中の音楽堂で心地よくバッハ、ハイドンと奏でる井上直幸。この曲をこんな感じで、と自分なりに弾いてみせ「ちよつと感情を入れ過ぎたかな」と「では、楽譜のままに弾いてみませう」つて弾いて「ちよつと、これぢやトンデモナイですね」とご本人はおつしやるが(トンデモナイ、は井上先生の口癖)それでもアタシの耳には、その楽譜通りのトンデモナクつまらないはずの演奏だつてじふぶんに美しく楽しく聴こえるのに。演奏と解説。解説も途中で「DVDに傷?」と思つてしまふくらい画面が2秒くらゐ静止してしまふ。じつは井上先生がフリーズしてゐるのだけど。とにかく楽しい。だが、このピアノ演奏の画像を遺して亡くなられたから余計に気になるのだがピアノを弾く呼吸がかなり深く、ちよつと息苦しさう。この映像を当時一歳だかの孫のために、と遺作にされるつもりだつた、といふのだから。アタシは思はずモーツァルトに至る第3章で気持ち良く眠りに落ちてしまつた。明晩モーツァルトから最終章のドビッシーに至れるかしら。この先生が弾くと、なんてバッハもハイドンもここまで愛らしくなるのか。井上直幸も凄いがこの人が亡くなる前にこの演奏を画像に収録したテレビマンユニオンの凄さ。もちろん萩元晴彦の仕事。アトになつてわかつたのは「遠くへ行きたい」や「オーケストラがやつて来た」など幼い頃に好きだつたテレビ番組がこの人のプロデュースによるものだつたのだが、萩元晴彦といふ名を初めて意識したのは中学生の頃、TBSの深夜ラジオで(確かLFでは大石吾郎が「コッキーポップ」の時間)この人がかなり硬派なインタビュー番組を帯でやつてゐたもの。「今晩わ、萩元晴彦です。今週一週間は……」と番組の冒頭手短にゲスト紹介してイントロなしで突つ込んだインタビュー始めるセッカチさが断然良かつた。パブロ=カザルスのことを知つたのも、この番組で語るのを聴いて、だつたと記憶。小沢征爾の「北京にブラームスが流れた日」もこの人の製作。井上直幸も萩元晴彦もこの世にゐない、と思ふと寂しいかぎり。
▼ここ数日、映画『バットマン』(来年夏公開予定の“Batman The Dark Knight”)撮影が香港であり。中環周辺は黒山の人だかり。この撮影のために先週末は夜間の超近代都市の雰囲気出すために、と中環界隈のオフィスビルに対して一晩、オフィスの照明つけつ放しにするよう香港観光協会が協力呼びかけ、自然保護団体が抗議。実際の映画ではわづか数分間の場面の由。撮影歓迎は至れり尽くせりで旧中央街市楼上のコリドールは夜間、撮影スタッフのために休息所となり軽食や飲み物までサービス。町を挙げての撮影協力は『男はつらいよ』と全く同じ感覚。ハリウッド商業映画はほとんど見ないアタシだがバットマンのシリーズだけは89年のTimothy Burton監督のバットマン作品以来全て観てゐる。ゴシック様式の近未来の産業都市の風景が好きであるし登場するキャラクターの異形性はアタシ好み。Timothy Burton監督が米国カリフォルニア人ながら倫敦に住まひ、前作の“Batman Begins”とこの“Batman The Dark Knight”の監督であるChristopher Nolanも英国人。英国の貴族趣味が大切なこの作品であるから、監督のテイストが重要。香港の新聞は連日このバットマン撮影を大袈裟に報道するが信報が地味にこのChristopher Nolan監督が中環のHollywood Rd周辺を探索する態をクールに記事に描いてみせてゐるのが秀逸(黒楊による「當荷里活愛上了荷李活道」11月12日信報)。近年のバットマンが映画でいくらクールに描かれても、アタシはどうしても1960年代後半から70年代初頭に東京12チャンネルで放映されたテレビドラマでのバットマンの印象が強烈で、何がトラウマになつてゐるか、といへば広川太一郎による「ねぇ、ロビン〜!」の吹き替へ。英国の貴族趣味通り越したお公卿さん趣味か。

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富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/