富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-07-31

七月卅一日(火)目覚めると朝の四時半。まだ空は真っ暗。氏家さんの『大江戸死体考』を読む。朝から、ってまだ草木も眠る、と思えば江戸は大川には溺死、路上には行倒れと死体累々、千住は小塚原の処刑場、死体でもって将軍家や大名の刀剣の試し斬りするを代々の家業とし「生胆」を生薬として捌くことで財をなした人斬り浅右衛門の話。氏家氏の筆致。面白い。氏家氏はもう書物を通して江戸の人であるから自身には死体ゴロゴロの江戸は別に不思議じゃない、というところが氏家氏の奇人たる由縁。試し斬りも「あくまで武芸修行の一環として行われたもので、猟奇趣味や死体に対する変質者的嗜好とはまったく次元を異にする行為」であり「この点くれぐれも誤解なさらないように」と書くのだが果たしてどれほどの数の読者が氏家氏に賛同するかしら。武芸修行とはいえ猟奇的趣味が少なからずあるのでは?とアタシは思うのだが。この本で一つ勉強になったのは江戸時代、数は少ないが「切腹」の場合、自害は天晴れで埋葬が許され、最も罪の重い「死罪」の場合は死骸は埋葬もされず試し斬りの「様物」(ためしもの)にされ、「下手人」は埋葬は許されない(死骸取捨)が様物にはされぬ、というランクがあったこと。ただ、この本の内容で一つ気になったのは19世紀後半に巴里で出版されしレオン=パジェスの『日本切支丹宗門史』のなかから殉教に纏る話を氏家氏は引いて1624年、天草にてルイス六右衛門が「イキダメシ」で殉教した話取り上げイキダメシは武士による伴天連殺害は「意気試し」ではなく「生き試し」で「生きながら試し斬りする(される)」意味ではないか、とするが、これはどうか。日本語の動詞用いた熟語は例えば「試し斬り」は「試すために」切る(目的)だし、「押し問答」は問答の状態の形容。イキダメシが「生き試し」だとすると極端な話、「行倒れをを生きているかどうか試すのに刃で刺してみる」ような行為をアタシは想像しちまう。が、これも不自然。「生殺し」という言葉も言葉は生々しく見事なのだが。なぜか、というと「試し切り」は「試す」も「切る」も他動詞で行為者は同一。「押し問答」も「押したり引いたり」の話者が問答する。これに対して「生き殺し」は「生きる」を「殺す」だから不自然なのか。「踊り食い」という言葉も確かにあるのだが。ところで「首切り浅右衛門」の試し斬りのための「胴」や脳味噌、「胆」を貯蔵していたという屋敷は江戸城にも近い平河町にかつてあり。著者がこの地を訪れると山田浅右衛門の代々の屋敷跡と思われる場所の近くには瀟洒な伊太利料理屋がある由。首切り浅右衛門の屋敷跡の近所で何も知らぬ当世の者どもが「トマトソースをたっぷりかけたパスタや内臓料理に舌鼓を打つ」と氏家氏。可笑しい。この『死体考』読了の頃ようやく空も白む。部屋の前の中庭のタマリンドの巨木に夜明け前より鳥多く鳩まり賑やか。ホテルのダインで朝食軽く済ませる。暫し部屋で寛ぐ。世界中で衛星放送で「みんなの体操」なんて流すのはNHKくらいであろう。「みんなの体操」はもともとの発想が19世紀的な「健康的な国民の育成」にあるとすれば衛星放送用いてまで海外の邦人に体操強いる点で国策的意味がない、とは言えぬの鴨。「海外安全情報」も全く意味がないが。ホテルを出て旧市街を西に歩きワットチェディルアン参拝。仏塔修復に寄進。ワットプラシン更に西に向い運河渡りワットウモーンまで歩く。1時間余で着く筈が途中、Tonpayam市場に寄り、寺近くで裏道で道に迷いチエンマイ西の山の手の高級住宅地に「非常に戦後のモダンな」住宅建築多く原型残すことを知る。2時間近く歩いてようやく到着したウモーン寺院はメンラーイ王により14世紀建立の、鑽岩の細い窩廊に仏像安置され落ち着いた佇まい。但し北朝鮮国営放送の如く敷地内に延々とスピーカーから流れる説法五月蝿い。この寺で精進の、若くして悪さに明け暮れたか修行僧にしては人相のまだけして良からぬ、背中や腕に紋も見事な憎相の僧多し。寺を出て市街に向け復た歩き、途中、ニマンヘミン通りに入りKhun Morというチェンマイでも人気の麺屋に昼を食す。Z嬢曰く「普通に美味い」。御意。午後雲行き怪しくトゥクトゥクに乗るやいなやの大雨。トーぺー門(旧市街の東大門なり)に至り、なかなかセンスはいいのだが通りかかると二度も店の終まったあとの銀のアクセサリー屋。Z嬢が宝飾品選ぶ間にカメラ出して街頭で雨に洗われる市街の様子写真に撮っておれば店内ではZ嬢にこの店の女将が「うちの亭主も古いライカが好きで蒐集するばかりか最近はライカの売買もしているんだけど、興味があったら見る?」と語った由。Z嬢は余を指して「見せたら何でも買っちゃうから」と答えると「そう、うちのも、もう見れば買う、見れば買う、ででも本当に自分が好きなカメラとレンズは絶対にヒトには売らない」と。そうだろう。店に戻りその話聞いたがアタシもその店の奥にいる亭主のライカコレクションを見たくもあり見ると怖いものありタイであるから「あまり珠玉はないのじゃないか」という消極的な憶測もあれば「プミポン国王からしてカメラ好きでM型ライカもご愛用」であるから「ひょっとして」の期待もあり。いずれにせよ「見たら買っちゃう」のが怖いので見ず仕舞い。雨のなかターぺー門潜りホテルに戻る。夕方になり雨、歇む。市の東北に位置する中華街、Warorot市場のほうに散歩する。このチエンマイなる都市、タイの東北第一の都市だが、主なる産業は観光。外国からの観光客が多くカネを落としてゆくが、消費も下手すると7割くらいが外国人なのではないか?というくらいに市内で(外国人相手の観光ズレした繁華街を除いても)チエンマイの住民の商行為、売買、消費がほんとうに乏しいと感じる。カネは落ちているわけであるから堅実に貯めているのか、実は観光都市にありがちな、誰もけして利潤を得るほどには儲けておらずまぁまぁ暮せる程度なのか、よくわからず。今度は強烈な陽射し。ホテルに戻る途中、食料雑貨屋でタイ産ワインを三本購入。部屋で飲んでみることに。部屋に戻り洗面台で氷で速攻で冷やした白ワイン。The United Products Co.,Ltd.なる会社のThai White Wineなる商標の白ワイン。料理用ワインだ、と思えばまだ納得できるかも知れぬがワインビネガーのような酸っぱさ。申し訳ないが飲めず。もう一本は「まだマシ」な名前失念の白。これもお世辞にも美味いとは言えぬ、まるで「ターメリックを保存していた樽にでも醸造したような味」(Z嬢)だが、これは飲めないわけではない、多少我慢すれば。で赤も一瓶ありPB ValleyのKhao Yai Wineryの産品であるSawasdee Shiraz 2005はバンコクまで持ち帰ることに。晩は何を食そうか、と三度びThe Wokへ。タイ料理は店によってそれほど格別があるわけでもなし極端に刺激的な辛さも好まず、なら周知の気に入りの店で食すほうがずっと良い。今晩も盛況。屋外で12卓あるが満席の上、卓によっては三回転。大したもの。ホテルに戻り内田樹『街場の現代思想』少し読む。
▼安倍三世本日閣議後の閣僚懇談会で各閣僚に対して曰く「選挙は厳しい結果だったが、政治の空白、行政の停滞は許されない。一層緊張感を持ってあたってほしい」。閣僚内心「参院選大敗はアンタの所為だろーが」と忸怩たる思いか閣議後の記者会見では各閣僚から選挙結果を厳しく受け止める声が相次いだ由。もはや内閣実質的崩壊。
▼築地のH君(のこの日剰への登場はかなり久々か)との民主党による社民、国民新党新党日本との連立内閣。自民党から加藤紘一さん、亀井さんや山崎さんといった良識派が離脱し自民新党結成し、民主党との連立に参画がミソ。小沢一郎君は首相を菅君に譲るが党首のままでゴッドファーザー気取り。
総理   菅直人(民主)
官房長官 枝野幸男(民主)
外務   加藤紘一(自民新党)
財務   岡田克也(民主)  
経済産業 亀井静香国民新党
厚生労働 長妻昭(民主)
法務   福島瑞穂(社民)
総務   田中康夫新党日本
防衛   山崎拓(自民新党)
文部科学 内田樹(民間)
農林水産 山田正彦(民主)
国土交通 田中真紀子(無所属)
環境   *公明党が無節操に民主党政権でも与党ならこのポスト(笑)
国家公安 河村たかし(民主)
沖縄北方 糸数慶子(無所属)
金融担当 榊原英資(民間)
女性担当 小宮山洋子(民主)

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