富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-08-01

八月朔日(水)午前五時起床。内田樹先生の『街場の現代思想』読み日記綴る。夜明け。部屋はネットがモデム接続しか能わず朝餉の食堂がようやく灯を点し準備に入るを見つつオープンエアーのロビーにてWi-Hi接続。朝食。曇り空をいいことにプールサイドで朝寝貪りつつ『街場の現代思想』読む。読了。言わんとするところはわかるし我々が非常にプチブル的な文化資本主義であることも否定せぬ。がそのプチブル的な文化教養主義が日本で人々の間に定着することが今後の日本社会の活性化云々と言われても「そうかしら」と疑問。それは、結局、資本主義というか消費文化の中では、まるで80年代のセゾングループ提唱の「おいしい生活」の如し。まぁアタシだって暇にまかせて読書だ、映画だ音楽会だ、美味しい料理に酒、旅……と別にそこから何を生産するでもなく、これは総じて「消費活動以外の何ものにも非ず」で、だから内田先生の指摘する「主義」を「否定せぬ」と前述したのだが、ホモルーデンスが「遊ぶ人」だとすれば、アタシなど「遊んでいなければ=楽しくなければいつでも自己決定として死んでしまう」と小学生の頃から覚悟しているので遊び続けているわけで、ただ、それは「好き勝手」がいい。それを内田先生の提唱のようなgeneralizationすると今迄楽しかったものなんてひとっつも楽しくなくなってしまうはず。敢えて本音でいえば地下鉄の中でピコピコと電子音うるさいソニー携帯用ゲーム機などにいちいち目くじらを立てつつ内心、実は「自分はあんなゲームに現を抜かすほどバカじゃない」と思っているわけで(内田先生もこういう差別意識を指摘していたが)その自己と社会の差異の存在こそ実はアタシの<自我>なのだ。厭な奴だが。昼近くまで宿でのんびりと寛ぎ荷造り。チェックアウトして荷物を預けThe Wokに近いLa Villaなる伊太利料理屋に昼を食す。チエンマイでは評判の自然食材系の、所謂スローフードな食肆で、パスタとピッザ食したが実に美味。伊太利人のオジサンの経営でワインも0.5Lがデカンタであるのが嬉しところ。珈琲も秀逸。午後はZ嬢と今回の旅で初めて別行動。国立チェンマイ美術館参観。夕方ホテルに戻りZ嬢と落ち合い鉄道駅に向うのだがホテルの出口で客待ちのタクシーが100バーツ、トゥクトゥクなら80バーツと嗾けられ「トゥクトゥクなら(外国人だって)40バーツの距離」と出しても50バーツのつもりでいたら運転手のほうから「行かない」と言うので「どうぞ」と、若い坊さんが一人乗った乗合のソンテウで行くからいい、と言えばホテルのスタッフもこのホテルの客で乗合のソンテウに乗る客は珍しいそうに眺めるばかり。チエンマイ発17:55の特急バンコク行き。バンコクまでの所要時間は13時間。この列車、バンコク発のチエンマイ行き(下り)の列車番号が1、この上りが2であるからタイ国鉄を代表する幹線(……だけど単線)の旗艦列車。自動車道もバンコクからチエンマイより更に北のゴールデントライアングルに近いチエンライに向うのが国道1号線。タイの王朝も南下であるし、タイが北、つまり政治的に中国の方を向いている証左。で、列車は一等二人用個室に乗車。外見で判断するとボロい客車といえばそれまで。実際に内装もけしてきれいとは言えないが(1996年の韓国、現代グループ製にしては草臥れている)、晩は二段ベッドになる個室で洗面施設はあり一等車両にはシャワー設備あり。二等とて通道をはさみ向かい合わで二人が座り晩は二段寝台になる形で、これは日本の寝台客車特急でいえばかつてのA寝台。二人用個室だと運賃は一人1,350バーツ、二等なら870バーツ。鉄道好きにはたまらない格安。だが飛行機なら運賃こそ一等個室での倍近いが僅か1時間。高速道路を10時間で走るバスも日本同様に高級化が進み24人乗りのVIPバスでも800バーツで特急寝台の二等より安いとなると列車で旅するのは酔狂な外国人旅行者か急がぬ老人ら、となり、外国人も仏語や和蘭語が目立つ。タイの鉄道事情、将来の改修や整備など期待できるはずもなく、この列車の老朽化進めば将来は廃止か。列車がチエンマイの停車場を発ちビールを飲みながら夕陽に染まる田園風景を眺める。野良仕事帰りの百姓、牛を追う少年。やがて日暮れて食堂車へ……と気分は内田百?。灯時降雨。このタイの東北本線、チエンマイの南60〜70kmほどで(ちょうど一昨日訪れた象保護センターの近くで)海抜1,300mほどの山越え。といってもチエンマイぢたい海抜1,000mほどであろうから大した上り坂でもないのだが崖の谷間のようなところに単線の線路でがけ崩れでもあれば列車は立ち往生。で雨は怖い。小宮豊隆先生の『中村吉右衛門』(岩波現代文庫)読む。アタシ自身は昭和29年に亡くなった播磨屋の芝居を当然観てはおらぬ。だが舞台を実際に観てはおらぬ役者でも十一代目(成田屋)であるとか十五代目(羽左衛門)であるとか勘弥とか祖母の話によく出てきたので「まるで観たように」印象深いのだが播磨屋だけはなぜか祖母の素人ながら幼い頃から芝居を観続けた彼女の話に出てきた記憶がなく(先代の勘三郎扇雀(現・坂田某)などにはまるで幼なじみのように言いたい放題であったが)今になって「なぜ?」と故人にも聞けず。小宮先生は従来「型」が大事の歌舞伎に役柄に関する自己の解釈を加えたのが九代目(團十郎)なら吉右衛門こそ「型」の芝居に「心」を吹き込んだ、と指摘する。当代の播磨屋など先代のそれを意識してこそ、のあの芸風なのだろう。だがどうも初代吉右衛門という役者はアタシにはわかりづらい。だから小宮先生の本まで読もうと思ったのだが、この播磨屋に関する小宮先生の記述はご本人も吉右衛門賞讃の詩である、といい、小宮先生の師、漱石大人も敢えて酷評通り、これは評論に非ず。贔屓による役者讃える文章が延々と続く。まぁそれでいいのだろうが。
▼Z嬢がチエンマイ市内に星の数ほどある旅行代理店で見かけたタイ国立の象保護センター半日周遊のお値段は一人500バーツの由。実際に乗合バスで往復すると入場料(外国人料金)込みで170バーツ。

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