富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十月十七日(火)疲労困憊。でも朝五時過ぎに目覚めてしまい茶を煎れ一服、机まわりの整理済ませ朝刊あらかた読んでようやく空が白む。八月に逝去された山村修氏は書評の他に「花のほかには松ばかり―謡曲を読む愉しみ」なんて書籍まであり絶版で入手困難。「日本の古本屋」サイトですら見つからなかったがamazonマーケットプレイスで3500円上限としたら見つかる。楽しみ。晩に招飲の約あり銅鑼湾の湖舟。山海の珍味に舌鼓。牛刺、馬刺、赤貝臭い赤貝、なかでもとりわけ仙台沖の鮑を奄美大島の麹味噌に漬けたやつが秀逸。紅子(筋子イクラのちょうど間くらい)の手巻き寿司も美味。焼酎は薩摩宝山。バーSに一飲。体調芳しからずアニスのPernodなんて数年ぶり。Mortlachというスコッチのシングルモルト、それも1970年物をいただく。帰宅したら倦怠感の上に悪寒あり。熱が出て早寝。
▼一昨日の蘋果日報に「湾仔著名南貨店老三陽昨晨發生狗咬人事故」となり「おーっ」と感動したのは、犬が人を咬んだからではなく「湾仔」の地名について。老三陽といえば南貨(上海産の雑貨、中国では高品質の代名詞、江南省ゆゑ南貨と云われる)の老舗で、とくに大閘蟹(上海蟹)と嘉湖粽が有名。中秋も過ぎて今は大閘蟹の美味い時期。この店の飼い犬が客の少女の足を咬んだそうだが、老三陽と云えば場所はTimes Squareに近い利園山道と登龍街でキョービの人たち的には、そこは銅鑼湾。湾仔じゃない。が1967年に反英暴動期にホンハムから移転した老舗であるから当時の感覚では「湾仔登龍街」なのだ。どんな古くさい感覚で記事が書かれたのか。
朝日新聞社の社員の名刺。アスパラクラブだか云う、ネットの無料会員制サービスのロゴが「朝日新聞社」よか扱いがデカいのは如何なものか。アスパラクラブといえば、その存在が最も効果的に認知されたのは、NHK特番改変問題報じた社会部の本田雅和記者の左遷先、であったこと。このアスパラクラブ、フジ産経のオレンジページのできそこない、みたいなものでイマイチ。大新聞社が積極的に展開するほどのネットビジネスか疑問なのだが。
▼英国エコノミスト誌先週号の“China and Japan talking at last”という特集記事あり読む。日本対中韓のいわば冷戦、安倍三世登場で何ら具体的解決もないままに関係改善急ぐなか北朝鮮の核実験は云わば近隣のその姿勢へのアンチテーゼ……という、ただ北朝鮮の核実験に怯えてみせる日本のマスコミに比べ溜飲下がる分析。“In dangerous waters”という論評では日本が a mood of patriotic populism in a country that sees both China and South Korea as new economic rivals, and that objects to being lectured about ancient guilt by the undemocratic Chinese という環境で中国や韓国に対する反感、不快感が育まれ外務省内にある書店で歴史見直し、反中、嫌韓の本が平積みで売られることを紹介。それでも日本と中国の関係は日系企業の中国での製造業中心とした雇用は920万人であるほど切り離せず、それでいてSK-IIの化粧品の問題では本来であれば製造元はProcter & Gamble社なのに対日貿易として報道される反日感情にも言及。日本と中国の不思議な関係を客観的に見つめる。
▼慶応大学の文化人類学渡辺靖という先生が朝日で時流自論というのを時々書いているのだが一昨日の「米領サモアで考える自立」という文章で東サモアの従属的でも米国から離れずの微妙な姿勢を紹介し、東サモアに限らず「米国とのかかわりが深い社会にとって、単純な白黒二元論に還元できない両義性のなかに米国が存在しているというのが現実なのだろう」と語り
日本においても昨今、「米国からの自立」、あるいは反対に「米国との一体化」を掲げながら、戦後日本の歴史や文化の再解釈を求める声をよく耳にする。しかし、対米関係の両義的側面が深く顧みられぬまま語られる、日本という「国のかたち」がどれほど信ずるに値するのかは、心もとない。また、自立と一体化という、相反するはずの目標をあたかも整合的であるかのように語る最近の政治指導者の論法も、付け焼き刃的な国威発揚の方便に思えてならない。ましてや……その論法で語られる国のかたちを「美しい」とは思えない。
と上品に、やんわりと安倍三世的なマヤカシに苦言。言い回し上手。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/