富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十月十七日(日)昨晩眠れずまんじりと朝も三時となり荷風先生日剰読み昭和十九年の正月から翌年八月の敗戦へと至る。昭和二十年三月十日未明の大空襲にて荷風先生廿六年住まひし偏奇館炎上を綴るその筆致。何よりも日頃老いただの他人事には渉らぬだのと言ふ荷風先生、炎上甚だしき麻布永坂に七八歳の女の子が老人の手を引きて道に迷ふを見てその二人を導き住友邸の方へと救ふ。蔵書など燃え火焔一段烈しく空に上るを敢えて見る荷風、明日より着の身着のまま蔵書もなき心情翌日には「昨夜火に遭ひて無一物となりしは卻て老後安心の基なるや亦知るべからず、されど三十餘年前歐米にて購ひし詩集小説座右の書卷今や再びこれを手にすること能はざるを思へば愛惜の情如何ともなしがたし 」と綴る。何よりも印象的はこの焼失の二日前の日剰に銭湯につき荷風綴るは「もとより湯殿のある家に生まれし身なれば町の錢湯は車夫馬丁の汗を流すところとのみ思ひ居たりしに二十のころより吉原通ひを覺え通だの意氣だのと云ふ事に浮身をやつすやうになり居續けの朝も午近く女の半纒を借りて寢間着の上に引掛け我こそ天下一の色男と言はぬばかりの顏して京町二丁目裏の黒助湯といふに行きしこそ思返せばこれ洗湯に入りし始めなるべけれ、吉原よりの朝かへりには池之端の揚出し三橋の忍川などいふ料理屋にて湯豆腐の煮ゆる間に一風呂あびて昨夜の移香を洗ひ流しぬ、その頃上野淺草邊の料理屋は曉方より朝がへりの客を迎ふるため風呂をわかし置くならはしなりき」といふ嘗ての東都の粋な様。焼け出され岡山に疎開すべく大正十年に左團次一行と京都に遊んで以来実に廿四年ぶり!に東海道下る荷風。戦時中とはいへ紀行文として荷風先生の筆冴え渡る。朝五時半頃にようやく睡魔訪れ暫し眠るが六時半には目覚まし鳴り本日O君らと針山より屯門まで50km近くのトレイルの約あるものの意識朦朧とする上に眠れぬ晩に体力かなり果ててとても歩ける気力もなくO君に不参加の旨電話。復た眠れるわけでもなく朦朧としたまま昼近く。日がな一日と決めてZ嬢とFCCにて朝とも昼ともつかぬブランチ。白葡萄酒飲み気持ち冱える。多忙なるジャーナリスト相手だからかのメニューAll Day Breakfastなる料理初めて頼めばステーキの如きベーコン、腸詰に牛酪味のマシュルームと目玉焼き二つ、それに申し訳ない程度に焼き蕃茄添えられ(写真)見ただけで胃がもたれ気味。ベーコンと腸詰め折箱に入れ持ち帰り。Z嬢去りFCCの作業部屋にて或る公募に出そうと決めた写真の選定済ます。酒場に戻り独りウイスキーソーダウォッカレモン一杯ずつ飲む。雑誌『世界』の残り読む。アンジェロ・イシイ(サンパウロ生まれの武蔵大学講師で在日ポルトガル人新聞の編集長やNHKポルトガル語放送のキャスターなど務める)のブラジル映画論興味深し。競馬は沙田トロフィーが好利多(人気馬だが余は買えず)、THE LADIES' PURSE盃が36倍の穴でRUSSIAN PEARLが入る。全く擦りもせず。「怖いもの見たさ」で昨日より開催の蘭桂坊カーニバルの雑踏のなか十分ほど要して抜ける。この催事の仕掛人97グループの総帥某氏の自信たっぷりな姿あり(写真)。HMWにてピンクフロイドの、もう三十年近く前にLPで聴いていた“The Dark Side of the Moon”(どうもこれを『狂気』と呼ぶに抵抗あり)『原子心母』と『アニマルズ』などCD購ふ。数年ぶりにプリンスビルの食材店オリヴァースに寄り数年ぶりにハイランドモルトのDalmoreを一本購ふ。帰宅。晩に湯豆腐鍋。この季節初めて酒を燗する。『藝術新潮』十月号特集は岩佐又兵衛を読む。
沖縄国際大学での米軍ヘリ墜落現場訪れた外務大臣町村某「被害が重大なものにならなかったのは(操縦士の)操縦技術も上手だったのかもしれない」と発言(朝日)。小泉が首班の内閣であるから外務大臣がこれほどの知悉であること今更驚かず。東京学芸大附属世田谷小中→日比谷高校→東京大学経済学部→通産省と絵に描いたが如きエリートコースでこのレベルの町村二世(北海道知事、衆議院議員参議院議員議長歴任の町村金五君の次男坊)。
▼戦前の小津の映画で『マダムと女房』や『淑女と髭』のヒロイン・井上雪子六十八年ぶりに映画出演(塩田明彦監督『カナリア』)といふ記事読み井上雪子健勝と知る。

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