富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十月十六日(土)薄曇のち晴。昼前に裏山をば10kmほど走る。午後一瞬ジムへ行こうかと気は馳せたが明日もまた長丁場のトレイルあり先週も土日と25kmずつ歩いており休みなしで午後は九龍に渡り知る湯屋にて湯に浸かり垢擦りと按摩。夕方FCCに独りステラアルトワ半パイントとドライマティーニ二杯飲む。ふと気づいたのはFCCの酒場にて落花生出されると小皿に大きめのスプーン添え供されいちいち塩炒りの落花生をばスプーンで掬って頬張るも面倒と思っていたが本日競馬新聞に予想の○印など付けながらペンを手にしていれば当然、落花生の脂だの塩が指については困るわけでスプーンで落花生をば掬い空いた手の掌に豆を落として口に放れば確かに手は汚れず。合点。ここ数年殆ど足を踏み入れぬ蘭桂坊にまだ日も暮れぬうちから賑わいあり何かと覗けば蘭桂坊カーニバルなる催しあり蘭桂坊の酒場街の入り口に模擬店だの屋台並び子供連れた家族などにて歩く隙間なし(写真)。数日前にはゲイパレードだかで今日がこれ。全て蘭桂坊をば為切るクラブ97など十数軒の飲食店酒場経営の97グループの為業なり。全て蘭桂坊の宣伝のためだろうが今でこそ「けして酒場で一緒になりたくなき」連中やガキども多きこの地は余にとっては二十年以上前に初めてここ訪れた折は当時は昭和三十年代の麻布の如き素人さんはとても扉開けるも勇気いる酒場がひっそりと営まれていた時代で今は形跡もなき或る酒場にてついお気軽に半ズボンで入場咎められジーンズすら「ディナージーンズを」と言われ深夜十二時前の当時中環と佐敦埠頭をば結びしフェリーで佐敦に渡り廟街の屋台でジーンズ購いタクシーで中環に戻りその酒場に戻ったほど根気要る場所にて今のチキチキバンバンな蘭桂坊でなど酒を飲みたくもなし。セントラルのワトソンズワインセラーにてイタリアの赤葡萄酒購い帰宅。トマトのパスタと青菜アボガドのサラダ。ここ数日今まで意識して見た例しなき香港電台制作のテレビ番組、「頭條新聞」でるとか香港警察の「警訊」など見る。香港では公共放送の香港電台は独自の放映チャンネルをもたず民放2局(中英の計4チャンネル)に放映権をば与える条件として放送の2割だったか香港電台制作の番組放映すること義務づけられ晩のいわゆるゴールデンタイムの七時代に香港電台の番組あり。公共放送とタカを括ること勿れ。頭條新聞は911のあとにビンラディン模した男登場し亦た董建華への揶揄など少なからず親中派より公共放送として問題ありと指摘されるだけNHKよか真っ当。香港警察の「警訊」はそういう意味では風刺も揶揄もなくつまらぬが香港電台の番組の場合は字幕がきちんとしており広東語の勉強には役立ちもする。
▼『世界』十一月号の原武史&Kenneth Ruoff(米ポートランド州立大学助教授)の対談「象徴天皇制は危機に立たされているのか」読む。対談といふものはここまでお互いが自分の主張した上で相手の話を聴く場なのかと当たり前のことながらそう実感するほど対談として秀逸。話は五月の皇太子発言より始り原がそれを「このままだと何十年後かに皇室制度が存続している保証はない」からこそ「システムではなく個人を尊重する新しい皇室を目指さなければならないというメッセージが含まれている」と指摘し翌月の補足説明文書でも皇室の伝統や仕来りに批判的な言及も見られ原は国民の側も女帝云々だけではなく皇室制度ぢたいをもう一度真剣に考えてゆくべきと指摘。結局、問題は宮内庁なのだが原は皇太子妃の病状の公開なども宮内庁が深刻な病状が明らかになった時には皇室制度ぢたいに対する信頼が揺らぐ可能性をば恐れているからの発表であり憶測としつつ今の皇太子妃との関係を絶ち(つまり離婚)皇太子を再婚させることで危機に陥った皇室制度をもう一度安定させる可能性について言及。それに対して皇室制度が明日なくなっても別にかまわないとルロフは、だが天皇制が存続するならば社会的に良い役割を果たすべきで大阪人権博物館を訪問するくらいの積極性を皇室に求める。原は七十年代くらいまでのほうが記者会見で天皇に戦争責任に対する積極的な質問ができたことや現在でも御用邸の付近では市民との対話などが比較的気軽にあり実は天皇制が市民から乖離していおり而も現天皇宮中祭祀に積極的であることなど指摘する(現天皇天皇就任の際に日本国憲法に則り、だのと戦後のリベラルで護憲派といふ印象もありこれは興味深き点)。それに対してルロフは現天皇の韓国や中国への謝罪や皇后の福祉活動など従来の皇后に見られぬ積極的な社会活動を挙げ「開かれた皇室」を評価するが原はだが東京では九〇年の天皇祝賀式や九九年の在位十周年、〇一年の内親王愛子誕生の際の「国民の集い」など全てが夜間に挙行され二重橋の上に立たれるといふ実際に見えぬ天皇皇后に対して国民が君が代歌い万歳を号ぶ図が身体性の閉ざされた、昭和天皇の戦後の「人間宣言」を経ての国民との対話や場の共有が、実はそれは戦後の天皇像でなく原の指摘によれば現人神であった昭和十五年の紀元二千六百年式典でも天皇皇后が皇居前広場に現れ昼間、同じ目の高さで臣民と対い集まった市民はすぐ向こう側にいる天皇皇后に万歳を号んだ事実があり、これは不健全で非人間的な環境と原は指摘する。が同時にカリスマ的な天皇像が寧ろ不要で皇居という場所と天皇という名の人間があれば中身は問わないという意味では「これ以上安定した支配はない」と原は指摘する。大胆な指摘だが宮内庁にとってはまさにこれが理想的な皇室であろう。ルロフはこの原の大胆な指摘にそれでも食い下がり〇一年の天皇の日本の歴史上の「韓国とのゆかり」発言を取上げ天皇みずからが純潔の大和民族といふ神話壊した意義に言及。だが原はこれも問題は天皇韓国併合後の日本と朝鮮の王室との関わりが意識されているのかどうかと指摘し李王をば李王家といふ皇室として日本の皇族を嫁がせることが日韓同祖論や内鮮一体をまさに体現したのが皇室で、そういった近代の歴史を見れば天皇の一言を肯定することに疑問を呈す。また原は「開かれた皇室」にとって宮中祭祀こそ全く国民の知らぬ世界で賢所など三殿も全く公開されず宮内庁の公開する地図にもその場所すら記載されず現天皇とミッション系大学出身の皇后は実はかなり祭祀に熱心だが皇太子及び皇太子妃がどれだけ熱心かどうか、とくに皇太子妃がこの祭祀に余り熱心でなく馴染めずにおり五月の皇太子の発言の「伝統や仕来り」の部分はこの宮中祭祀のことではないかと推測を続ける。ルロフもこれについては結局、神社本庁などにとっては天皇よりもこの伝統的な祭祀が天皇によって行われることが大切であることを指摘。原は結局、天皇よりも祭祀、そして三種の神器こそ大切なのであり、万世一系なる見えない概念の「担保」がこの神器であり、と続けるがルロフは原のその伝統云々への遡りに閉口しているらしく、現在の皇室は時代に適応しつつ伝統が再生されている、と指摘する。そでも原は納得せず、具体的には関東大震災では宮城前広場に三十万人の罹災者が集まり戦後も六十年代まで皇居前広場が当時の若者が夜な夜な性行為をば行う場所であったことなど挙げ、そういった寛容性がどんどん損われていっている、と言う。最後に原は宮内庁が最も恐れているのは世論であり、これまで安定していた象徴天皇制が五月の皇太子の発言で世論が女帝容認に流れ、つまりは万世一系でなくとも天皇や皇室の人格、それに対する国民の信望で天皇制が維持できることがわかってしまった。皇太子は旧来の宮中祭祀執り行い三種の神器をば擁くことより個人の尊重する新しい皇室であることを国民に見せようとしている。皇太子妃の病状も回復のためには皇太子は皇室内部の伝統やしきたりを変える必要があると考えており、それに対して宮内庁天皇皇后と同じく多少時間がかかっても皇太子妃が健康を回復し公務と宮中祭祀に復帰することを願っており、その対立の深刻さを指摘する。それに対してルロフはどうであれ皇室の変化は避けられず皇太子妃もそしてその夫としての皇太子もこういったメンタルな問題に悩む姿を見せたことで同じような悩みをもつ国民の共感を得るなど皇室の新たな伝統がどう創出されるかに注目していきたい、と結ぶ。
▼ヘラルドトリビューン紙にブッシュの発言あり。
In the last few years, the American people have gotten to know me. They know my blunt way of speaking. I get that from Mom. They know I sometimes mangle the English language. I get that from Dad. Americans also know that I tell you exactly what I'm going to do and I keep my word.
と。これが開拓時代の学校に行けぬ者ならまだしも、米国の大統領といふ世界をば支配する者の発言とは。だがこの自らが馬鹿であると「正直な」この発言こそ、意外と米国では国民にウケるわけで、少なくてもインテリで万能の如き何らミスもなきゴアが再度選挙に挑んだら大統領として四年間この馬鹿さぶり見せたブッシュには勝てまい。だからまだ「せいぜい隣近所のエリート」程度の印象のケリーのほうが対抗馬たり得るのかも知れぬ。だがバカであることが選挙の売り文句とは……。英語といへば「鮫の脳みそ」の誉れ高き森君が首相の時にクリントンとの対談で有名な噂さ話だが英語で話したいと側近に習ったのが“How are you?”で“Fine, thank you. And You?”と言われたら“Me, too”と答えるのを間違って“Who are you?”と尋ねてしまひクリントン君が困りつつも“I'm a hasband of Hillary”と機転を利かして応じたのに“Me, too”と答えたといふ話あるが、少なくとも森君にとっては英語は慣れぬ外語であり、ブッシュ君の場合の母語とは異なるもの。だが米国といふ国はもともとかなり怪しい英語話す者多い国にてスパニッシュの席捲もありブッシュの英語の誤りに気がつかぬ者も少なくないのが事実。そのブッシュ君をば米大統領選に「干渉したくない」と前置きしつつ「だがブッシュ大統領とは親しい関係にあり善戦を期待する」と宣ってしまったのが我らが小泉三世。内閣官房長官が慌てて「首相発言は誰が当選すべきかを言ったものでない」「選挙結果がどうれあれ日米関係は良好となることを確信する」だとかフォロー。今日のヘラルドトリビューン紙には上述のブッシュ発言引用の論説の隣にブッシュと並ぶ小泉三世の写真大きく掲載されこの小泉発言が伝えれる。日米の指導者の恐ろしきまでの知性感性なり。

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