富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

五月廿五日。父の誕生日。親孝行に値すること何もなく父の持病快方には向わぬが平静保つをせめて
薫風や軒の板戸をたたく音
と詠み送る。荷風先生日剰にある岩波書店荷風全集発行中止に房陽子(平井程一)の詠んだ 秋風や古き板木を摧く音 が元句であること明らかなるべし。初更に北角の寿司加藤に食す。酒は峰乃白梅。客に母子共々躾け悪しき隊あり。同胞。子を一卓に据え母のみ別卓にて飲食のうえ子が店内駆回るも放置。そればかりか帰りしな和富道の路上に迄子どもら出でて駆回るを見て人攫ひなど気にもせぬ親に唖然。余が幼き頃には親は子を大人の間に据え子には躾きびしくも何が美味いかときちんと講釈たれ供せしもの。銀座の天婦羅屋、築地の鮨屋と連れられて余も親の為草見て育つ。親に礼節も躾もなくば誰を先達に子は育つか。邦人の礼節など已に何処へか消え去る。戦後民主主義の弊害に非ず荷風先生に云わせれば震災にて既に美徳など消え去りぬ。帰宅してGlenmorangie一酌。荷風先生日剰昭和十五年八月を読めば帝国劇場九月かぎり閉場といふ記載あり。「明治四十二三年に同劇場開演前たしか丸の内中央亭と云ふ洋食屋に招がれ渋澤榮一末松青萍等の卓上演舌に苦しめられ」「鴎外先生も出席せられしが演舌途中窃に席を立ちそのまゝ帰宅せられたり」と荷風先生帝国劇場の開館以前を回顧。これがふと思い出すは成駒屋の大旦那の今年三月の三回忌に東京會舘にて集ひあり……と久が原のT君よりのメール発端に帝国劇場、東京會舘、渋澤榮一君の話となり(余の日剰三月下旬にこの記載あり)これがT君の語っていた鴎外先生渋澤君の講演に席を立ち……のことと合点。荷風先生の記憶に残る帝劇の舞台は露西亜オペラ、パブロワの舞踏に梅蘭芳の華劇と日本では市川團蔵の菊畑、と、この團蔵とは八代目、役者引退し四国巡礼に出で瀬戸内海に没した先代(現・團蔵の祖父)のことか、パブロワ、梅蘭芳とは真に垂涎の舞台……だが荷風先生この昭和十五年の東都とば「往事茫々都て夢のごとし」と慨く。
▼築地のH君より伊蘭人シェイダ氏の在留裁判(こちら)につき東京高等裁判所控訴といったお知らせ貰ふ。シェイダさんもここまで不当なる扱い受け「それにしてもなぜ日本」なのだろう……と思いつつシェイダさんにせよベトナム難民にせよ中国人にせよこんな国でも「住もう」と思っている人を受け入れられないということがどれだけ「国家」として寂しいことか。不服なら住まなければいいでしょう、別に頼んだわけぢゃない、と日本に住みたいと願う異邦人を受け入れず、だが社会は少子化にて将来の労働人口すら確保できぬといふのに。
▼東京ファシス都にて都立高校など今春の入學式で國歌齊唱時の不起立につき教員ら40人餘を誡告などの處分。朝日新聞によると(こちら)「卒業式で不起立の生徒が多く出た學級擔任らへの處分も檢討したとみられ處分數はさらに増える可能性がある」と。生徒の不起立は教師の「思想的偏向的指導」の賜か。「とんがつた」生徒或は敬虔なる基督者にて本人の意志で不起立の場合なども教師の責といふ發想。生徒自身が不起立をば決めてもその行爲にて恩師に被害及ぶと思へば起立に從ふ者もあらうし、教員も「お世話になつてゐる校長に」と同じ發想にて起立もあらうし、結局は「先生のため」「校長のため」で校長も教育委員會で餘計な問題起こさぬため……と、この「何某かのため」の「ため」「ため」の連續にて、これに何ら明白なる意思も根據もなく、これが至上に「國のため」となるのがナショナリズム、そしてこの無責任の體系こそ最後は「天皇陛下のため」と本來の皇室、陛下への敬ひなどゝは結びつかぬ形骸化せし思想なき體系。怖し怖し。

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