富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

五月廿四日(月)快晴。世の中うまくいくようでいかぬもの、早晩にタクシー雇い金鐘のPacific Placeと行き先告げて走ってから「時間もあり早い夕餉に金鐘では食すものなし、灣仔ならSabahなり蝦麺店なりあるのに……」と後悔し運転手に行き先変更するかせぬかと迷っておれば車は灣仔にてとある方向に曲がりふと余が告げた行き先がPacific Placeに非ず間違って金鐘地下鉄站であったこと幸いと灣仔にて車降りてSabahに参れば午後五時より六時はわずか一時間賄い飯のためか閉店。チキンラスカ食せず站近くガード下のSonthraなるケバブ屋にケバブ食す。枡野浩一の短歌集『てのりくじら』実業之日本社読む。
月曜日から枡野浩一の短歌とはブルーなようでブルーでもなし 富柏村
という感じであろうか。短歌でも俵万智には一切共感もなかった余がふと枡野浩一詩集を読む。「複雑な気持ち」だなんてシンプルで陳腐でいいね気持ちがいいねとか読んで、これが俵万智とどこが違うのかと言われると難しいが枡野はいい。無理してる自分の無理も自分だと思う自分も無理する自分など往年の八十年代の怪僧・上杉清文和尚の意味こそは無意味に意味する無意味なり意味に無意味に意味を許すなをふと回想。土屋守著『シングルモルトを愉しむ』光文社新書読む。光文社の新書新参ながら上原浩の純米酒田崎真也の焼酎、他に麦酒など左党相手の良本多し。余の最も好むシングルモルトにつき歴史、醸造蒸留の法、文化から銘柄まで詳細に亘り殊にピートだの酵母だの解り易く講れる。ウヰスキーといふとスコッチだが英国(英蘭)にては蛮酒として中世相手にされず専らブランデー嗜むところ十九世紀後半に英国人アメリカより持ち帰りたる新種の葡萄苗木にフィロキセラなる虫あり免疫なき欧州の葡萄木にとってこのフィ虫の害あり大打撃被り葡萄生産撃滅しブランデー生産出来ず英国に供給なく致し方なくスコティッシュの蛮酒飲むようになったこと、またヴィクトリア朝の時代に穀物用いたグレン酒とのブレンド酒の大量生産可能になりウヰスキー普及したこと知る。余はスコッチのモルトにて「マッカラン」酒最も著名にて文藝春秋誌にも広告あるほどでマッカラン飲むは玄人に非ず?と多少懐疑もあったが土屋氏の厳しい評価でもやはりマッカランはスコッチモルトの美酒。大麦からしてゴールデンプロミスなる純米酒でいへば山田錦の如き良質の麦芽のみ用いピートの薫香が大切なるモルトにあってピートの焚き具合示すフェノール値が1ppmと最も低く(ちなみにピート香の秀なるラフロイグは同値35ppm)而もマッカラン酒の極みは熟成に用いるシェリー樽にも及び英国においてもアメリカ産のホワイトオーク材の樽普及するなか敢えてオークでもブリテン島地来のクエルクスローブルなるオーク材での樽に執りその樽をばシェリー酒生産盛んなスペインにて無償にてシェリー業者に二、三年使わせて(シェリー業者にすれば高価なるこのクエルクス樽など自前では使えぬが無償提供されれば願ったり叶ったり)マ社はそのシェリー樽をば自社のモルト用樽として逆輸入しモルト酒の熟成に用いるといふ手間のかけ様。十数年前に香港のマンダリンオリエンタルの酒場チナリーにて余が初めてモルト酒なるもの意識的に賞味しようとした折にスコット人のバーテン君に勧められしがマッカラン酒にて彼の選択に間違いなし。久が原のT君も彼の私剰にマッカラン酒をば酌す記述あり。それほどの酒と知る。ちなみに土屋氏の評によれば百種ほどのモルト酒の紹介のうち星5ツはマッカラン酒とGlenmorangieの僅か二酒にて星4ツ半が前述のLaphroaigとSpringbank、ArdbegにLagavulinの四種。モルトにて最も古いThe Glenlivetと余の普段愛飲するBowmoreで星4ツ。このうち余の書斎の棚に十数本のモルト並ぶうちSpringbank、ArdbegにLagavulinの三種がなし。未だ試飲しておらぬのはLagavulinのみと我ながら酒狂と呆れるばかり。ふと余とウヰスキーの付き合い回顧すれば子どもの頃に父の飲む確かサントリーのオールド嘗めたが最初。十七の頃には当時通ったジャズ酒場にホワイトのボトルをばキープもし当時の高級酒はジョニ黒にて父にいただき飲んでもみたがけして美味いと膝叩くほどに非ず田中角栄で名を馳せたオールドパーも時の首相が飲む酒がこれか、銀座の高級バーではこれが何万円かと若輩ながら疑問の念。大学の頃にはバーボンに憬れつつも当時九千七百円だかのジャックダニエルなどとても購えず二十歳過ぎだかに初めて香港訪れし折に空港の免税で購ったジャックダニエルの実に美味かったこと。その後どうにかいっぱしのウヰスキー飲める齢となったがブレンド酒はグレンフィディック飲んでも満足できずバランタインの十七年で「なるほど」と、二十五年で「これだ」と納得。そしてモルト酒にはまって十余年。ウヰスキーとの長き付き合い。だが余がこれまでに飲んだ、最も美味きウヰスキーは十四の頃か北海道の余市ニッカウヰスキーの蒸留場訪れた時のこと。熟成の蔵にてシェリー樽のほのかな香りに至極の時を過ごし蒸留場見学の最後に試飲の場あり。子どもは蘋果果汁と。この蘋果果汁とてニッカの大日本果汁(日果)といふ元名の通りニッカの立派な産品ながら子どもながらに先ほどの蔵にて寝かせたウヰスキーをば是非飲みたいと思いモルト酒の小さな樽の前に立ったところ初老の職員余をじっと睨み「子どもはダメだよ」と言うのかと思いきや「飲みたいか?」と一言(笑)。余が肯定くと小さなショットグラスに琥珀の液をば注ぎ「ほら!」と。そこでグイッと飲んだ酒の美味いこと。十年近くしてニッカよりシングルモルト余市なる瓶詰めも売られ勿論試し仙台に住まいし頃には作並の同蒸留所も何度か訪れたが余市で十四の時に飲んだ美味さにその後一度も出会えず今日に至る。今でもあの余市のショットの舌にのった時の味の柔らかさは忘れられず。一昨日「支連会」首席司徒華氏が89年天安門事件での七月九日の香港での支援集会突然の中止決定につき真相明らかにして香港政府高官より中国より「工作員」来港し支援集会攪乱の恐れありと司徒氏に電話にて緊急通告あり市民の安全優先し支援集会中止決定と……日刊ベリタに送稿(こちら)。遅晩に荷風先生日剰昭和十五年の春読む。日毎に国家主義東都を襲ひ荷風先生それへの拒絶と抗議の筆冴える。
カンヌ映画祭にて香港の『2046』が受賞逃したことは王家衛監督が全く理解できぬ余には驚きもせぬが是枝裕和監督の『誰も知らない』の主演の少年14歳が初演で史上最年少で最優秀男優賞受賞とか。映画も面白いのであろうしこの少年も輝いているのであろう。「だが」本人も芝居、役者を意識もしておらぬ少年に世界最高の賞を与えてしまふというのは安易すぎないだろうか。世界中で何千、何万といふ映画作品が造られ五万と役者がいるなかで評価に値する演技をする役者は少なからず。今後の役者稼業すらどうなるか定かでない少年にはせめて最優秀新人賞でいいのでは。例えば坂東玉三郎といふこの世の奇跡の如き女形が現れ椿説弓張月の白縫姫だの東文章の桜姫など演じて評判になっても若い頃はせいぜい文化庁の芸術祭奨励賞とかで今後も芸道に精進しなさい。カンヌほどの眼識が少年のいっときの演技に最高の賞を与えてしまふのは話題作りにおいて芥川賞以上の世間への諛いか。来年はアニメの主人公が最優秀演技賞か。映画ぢたいは88年だかに東京巣鴨でおきた子ども置き去り事件が実話。当時は中学生の長男も今は二十代後半のはず。壮絶なる事件が芸術的に描かれる。監督曰く事件をジャーナリスティックに描くのではなく、生き抜こうとする子供たちの心象風景に迫りたかった」と。この是枝監督のこれまでのドキュメンタリー作品の視点だの見ればどういう人がよくわかる。が、それに対してこの映画のサイトには例えば児童養護施設で働いているといふ男性から「出勤前にテレビをつけたらニュースでカンヌ映画祭・男優賞に柳楽さん…史上最年少の受賞を知りました。おめでとうございます。柳楽さんの演技すごいなと関心しました。テレビで放送されている「電池が切れるまで」も欠かさず見ています。職場では中高校生男子の担当をしていますが明の生き方をすごく見たくて楽しみにしています。そんな明役の柳楽さんの演技のすばらしさ。一度お会いして話をしたりしてみたいです。施設で暮らしている子どもがこの映画をみてなにかを感じてくれれば。。。楽しみです。。。。おめでとうございます。活躍を期待しています。」といったメッセージあり。フーコー的。施設の子どもがこの映画見て何を感じるか。実話からの映画製作、受賞、感動と「大人の思惑」は果てしなし。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/