富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

五月十日(月)快晴。晩に九龍に薮用あり往復の車中に上原浩氏の『純米酒を極める』光文社新書読む。上原氏は広島財務局鑑定部より鳥取県工業試験場に長く勤務し日本酒の酒造技術指導に携ったが仕事ばかりかご本人が真の酒好き。八十になるも毎日四合をきちんと飲むそうで写真拝見しても十五代目羽左衛門似の二枚目、矍鑠とした紳士ぶり……といっても昭和二十年に亡くなった十五代目を知る方も今では少なかろうし、逆に十五代目知る方には「そんな美男子が今の世に」と嗤われそうなので敢て十五代目と上原氏の近影並べるがどうでげす?、似てるでしょう十五代目に。 かなり専門的な酒造の話もあるが、要はよい純米酒を少し割り水(つまり加水)し酒精分十三度くらいにおちつかせ摂氏五十度くらいの燗で呑む、といふ酒の醍醐味。割り水というのは初めて知ったが、強い酒を強いまま飲むのは能なしと。硬い酒を柔かくして飲めば旨さ増すのはウヰスキーも一緒だが上原氏が理由はわからぬが、としつつ水をさきに杯に入れてそこに酒を注いだほうが美味いと説あり。じつは余も日本酒はわからぬがスコッチのモルト酒で確かに水を先にそこにモルト注いだ場合とモルト先で水を注いだ場合では全く味が違ふことはその通り。水を先にして酒を注いだほうが馴染むのである。化学的なことはわからぬが水先のほうが注いだ酒の余計なアルコール分が揮発するような気がするのだが。スコッチのいいモルトなど生(き)で飲むものと誤解される方もいるがMacallanあたりであれば生でも楽しめるが例えばBowmore、もっとならLaphroaigあたりになると生では硬すぎて独特の香りが鼻につくばかりか舌を麻痺させるほど。適度に割り水することで旨さが何倍にもなること事実。で上原先生の純米酒論に戻るが新書一冊徹底してよい純米酒とはどういう風に造られるのか、を酒造の技術的な面から造酒屋、杜氏らの心意気まで真摯に語る。かなり堅物の酒造官吏のようだが「あとがき」の最後で
酒も煙草も女もやめて、百まで生きたバカがいる
といふ古い川柳を挙げて「私は真っ平ご免」と(笑)。じつにいいぢゃないか。二更に帰宅。撥条(ぜんまひ)の煮物と博多の辣韮(らっきょう)で菊正宗をコップに一杯。適度に心地よく、薄口の出汁のきいた汁で煮うどんを小椀に少し食す。満足至極。割り水の「検証」のためこの日剰綴りつつBowmoreの12年モノを水先と水後で飲み比べてみるがやはり水先のほうがずっと美味。
新之助君の海老蔵襲名披露、父・團十郎が病気休演。「海老蔵をこじらせた」か。この休演で今月の弁慶は三津五郎が代役。高野山に参った築地のH君より、大阪で電車の中吊り広告見れば七月の大阪松竹座での新之助君の海老蔵襲名披露公演は与三郎に弁慶。しかも勧進帳は富樫が仁左衛門で弁慶が鴈治郎。六月末に東都に戻り助六、月を改め京都にでも遊び大阪でこの与三郎見て香港に戻るとか……それができれば最高だが。  
▼久が原のT君よりも鉄斎漁史についてメールいただく。こうして浅学非才の余に畏友ほど有難きものはなし。京都といふ風土ゆへの鉄斎漁史の生き方についてT君より興味深い指摘受ける。またT君曰く「南宗畫に於いて鐵齋漁史は殆ど最後の妙手」だが「そのよろしさ西洋畫の見方にては恐らく神髓を得ざるべし」と。御意。「南宗畫の善し惡しは、まづ畫人その人の學徳の高下に據る。萬卷の素養と浩然の詩心、二つながら紙背に徹してこそ名畫」で「その筆力すなはち墨色の淺深に顯著にして、寫眞版にては眞の鑑賞なす能はず」と。やはり富士山図の屏風の前に対峙することが大切。「而して、古來畫論の第一に論ぜらる氣韻生動の趣を見る。この「氣韻生動」、不立文字教外別傳の祕説めきたれど、馴るればどうといふこともなく、一目瞭然の事柄たり。約言なさば、南宗畫は學人の手による偉大なる素人畫にして、漢學滅びて南宗畫殘るべくもなし」とT君。ちなみにT君指摘お通り鉄斎漁史の「再評價」は小林秀雄によるものだが、その「前近代とは無縁のところから言擧げなせし無責任の言説未だに生きて後代の人は鐵齋漁史の影すら踏まれず」といふ現状を「嗤ふべく、また歎くべし」とT君。ちなみに赤瀬川先生と山下裕二の対談でも鉄斎の富士山図を見続けた小林秀雄が書いた評論にて絵中の浅間神社の鳥居の赤さを小林秀雄が言及したが赤いのは鳥居でなく社殿、と(笑)指摘あり。

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