富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

五月九日(日)快晴。昨晩午前三時に臥床も八時には目覚め快晴のところ昼まで在宅。新聞雑誌の類読み書斎の整理などして過す。昼にZ嬢と中環。何処の食肆も母の日の会食なる消費活動に混雑を見込み外国人記者倶楽部に参れば此処もメインダインにて母の日記念ビュッフェあり客濫れ酒場の食卓までこれに当て客は二階のメインダインよりいちいち食事を皿に盛って階段上り下り。さすがに酒場は「母の日がなんだい、てやんでぃ」と昼から赤ら顔の諸君多し。開胃に発泡酒。前菜はエスカルゴ、Z嬢はタイ風味の野菜カレー、余は愛蘭土風シチュー食す。ウヰスキーソーダ飲む。何も気にせずいつも銘柄も指定せずウヰスキーソーダと頼むがいったい何の銘柄かと思えば The Famous Grouse で蘇格蘭の地場では定評のブレンド酒。窓の格子帷より眺むる三々五々の陽光に心地よきほろ酔い。スターフェリーにて尖沙咀に渡りSpace Museumにて遅い午後に昨日に引続き清水宏監督で李香蘭主演の映画『サヨンの鐘』観る。1943年の松竹映画であるが台湾総督府が実際の製作元で製作は満州映画協会、故に李香蘭が純真無垢にタイヤル族皇民化に邁進する娘演じる。霧社事件経ての政策転換による高砂族皇民化に尽力する日本人の警官らと純粋無垢に皇心培われる高砂族の物語。高砂義勇隊。渡辺はま子の歌う「サヨンの鐘」にのって高砂族皇民化に尽力した娘(李香蘭)が出征する兵士見送る大雨の中で命落す「美談」なり。上映終り一人拍手する客あり。大東亜・八紘一宇信奉する地元の者か(笑)。それにしても李香蘭の動き(演技)サイボーグの如し。亦たフェリーで中環に戻りLandmarkのRalph Laurenにて衣料購ふ。同じLandmarkのDavidoff烟草店にて烟草パイプの掃除用のモール購ふ。エスカレータで久々に粗呆地区に上りXtc Gelatoにて氷菓子。オリンピアグレコ珈琲店にて珈琲豆購ふ。北角街市にて食材購い帰宅。遅晩に山菜、菎蒻、葱焼を肴に菊正宗飲み蕎麦食す。Z嬢録画の「ウォーターボーイズ」数話観る。昨夏のテレビ放映当時にS君が「真直ぐな青春ドラマを見て真直ぐに感動したいと欲望する人々の期待に悉く応じようとする姿勢」と論破していたが録画で作品見てなる程と納得。日曜の晩にふと、文明であるとか文化といふものは「死」というものの存在を自覚してしまひ、それに虞れ戦くゆへの人間の業の如きものか、と思ふ。酒を飲むのも「同業」かも。柑橘皮いれた風呂につかり月刊『東京人』六月号読む。創刊二百号越えてだいぶ変った感じあり。松葉一清の巻頭「東京発言」がないだけでもはやダメなのだが。来月がエノケン生誕百年だか記念しての東京のお笑い特集だそうな。それで定期購読を終えてよいかも。荷風先生日剰昭和十四年の春を読む。
▼畏友S君より富岡鉄斎について「わからない」余に長文のメール頂く。専門家でも迂闊には書けぬのが鉄斎で、鉄斎の孫である富岡益太郎や『富岡鉄斎の研究』藝文書院1944年の小高根太郎といふ偉大なる先達ある上に鑑定の難しさも鉄斎を怖いものにしてしている、と。確かに絵の才なき人が書いた「下手な絵」が鉄斎と評され、なんて筋は初期の『教祖誕生』の頃の北野武の映画でも面白いかも。いずれみせよ次回阪神に遊ぶ機会あらばぜひ清荒神清澄寺に拝し最高傑作といわれる「富士山図」屏風に対峙してみるべき。いずれにせよS君の指摘する鉄斎的なる前近代性は当世であるからこそ検討が重要。「中国趣味に支配されているが反面、中国そのものからは遠く外れてもいる」という立場。西洋に近付くことで近代
(美術)になろうとしたこととの好対照。而もS君の言う通り「前近代の人」ゆえに「近代を嫌悪しない」姿勢。「近代の新技術の便利さ」は積極的に受入れてしまふ柔軟性。だが絶対的に自分の「生きる姿勢において前近代に留まった」なんて、何と素適なことぢゃなかろうか。「儒服を着て杖をついて近代の京都の街を歩き、美術学校では新世代の若者たちに修身と有職故実を講義」する鉄斎先生。S君は、明治帝の政府が大勢の「勤皇の志士」たちを謂わば「使い捨て」にされた中で鉄斎は最も幸福な人物だったといえるかもしれない、と。S君のメールを何度も読み幾分、鉄斎への気持ちは落着くがやはり清荒神清澄寺、である。

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