富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三月廿八日(日)曇。古典劇評論の村上湛君より今月の歌舞伎座での松島屋の芝居について村上君の手控私記を読ませて頂く。私記ゆへ引用は控えるが、松島屋の鮨屋は「役者のニンと腕とによつて型が生き、芝居が生きる時こそ、古典の本義なるもの」と。それにしても十数年前に松島屋がまだ孝夫であった当時に病身より快方には向かっていたものの養生が大切、大きな芝居をするには身がもたぬといふ時代あり、その当時いずれ仁左衛門襲名と噂されつつ「いい役者だが身体が本当に保つのか……」と案じられていたことが嘘のような先代が亡くなってからの活躍ぶり。まことに嬉しきこと。本日昼まで家事片づけ先日壊れた十年使用のビデオ機新規購入し交換テレビビデオ周辺の整理。浴室の換気扇交換。雑用済ませ曝書。午後一浴し少し残っていた『二青年図』読了。準一が渋澤敬三に請われ昭和二十年に近衛首相の蔵書疎開のための目録づくりに上京し渋澤邸にて「二少年図」の絵に接し村山槐多といふ天逝の画家を知った翌日に準一は嘔血して没くなり、乱歩は渋澤敬三よりこの槐多の絵を禅られ(渋澤子爵は貴重な作品ながら槐多がエドガー・アラン・ポーに心酔していたことを思い出し乱歩への絵の譲渡を受け入れた、と)、鳥羽を訪れた乱歩が準一の蔵の書斎より乱歩に残した準一の小説『後岩つづじ』を得て……とここまでは、何処までが事実で何処からがフィクションか、それはいいのだが、最後の最後で準一に瓜二つの女性が乱歩の処に現れその女性は乱歩と準一が嘗て名古屋で遊んだ愛らしい少年で「男の子のように育てられていたが実は女性」でその女性が乱歩に触発され『孤島の鬼』や少年探偵団シリーズ読み女流探偵作家としてデビューした、と(唖)。これがその時代設定より二十年程後に産れる準一の孫娘でこの物語の著者岩田準子その人の登場であること。そんな……。まさか自分を強引に登場させてしまふ、それどころか乱歩と準一を掬ぶその脈絡に「あたしがいるのよ」といふ大口上。やはりこうなるのならやたら「夢」で演出してしまふ物語でなく史実としての精緻な評論こそ大事。午後書斎でぼちぼちと事済ませつつ在宅。昏時香港ポストの編集長S女史と某機関のT女史拙宅に参られ三更まで歓談款語。なにぶんにも事情通の集まりとなり現時点では関係者多く此処に綴れぬ類の下世話譚多し。S女史よりの独逸麦酒Jever、T女史よりの葡萄酒は加州産の白がCanyon Road並びに赤がErnest & Julio Galloのいずれも02年美味しく頂く。
▼昨日の東京會舘については畏友T君より「御賢察の通り」と「東京會舘は男爵澁澤榮一の肝煎りにて開設、と申すより、當時は同人發起人たる帝國劇場と廊下にて聯結、同組織なりし由」と教えられる。荷風先生の斷腸亭日記にもこれに纏る記載ありと示唆あり帝国劇場についてはかなり芝居だの稽古を見に荷風先生訪れた記述の記憶もあるが東京會舘については全く記載覚えておらず大正十二年十二月の項見れば初二日に開館してわずかに両三日の東京會舘にて帝国劇場懸賞募集脚本の審査会の記述あり會舘の各室を巡覧した荷風先生「料理屋と貸席とを兼ねたるものにて裝飾極めて俗惡なり。現代人の嗜好を代表したるものと謂ふ可し 」と酷評あり。当時の荷風先生にしてみれば俗悪なる趣味も今となっては大正の面影。改築前のコンドルの帝国ホテル、そしてこの東京會舘(も改築前)に今も残るは箱根宮ノ下の富士屋ホテルと六代目のお好みは大正のこの空間。また六代目にとっての名優がは菊吉に非ず五代目歌右衞門、十五代目羽左衞門、二代目左團次、七代目中車、十一代目仁左衞門、初代鴈治郎などみな大正期に全盛を迎へた、團菊後の諸優といふT君の話も興味深し。
▼今日の朝日に若宮啓文といふ論説主幹「国旗国歌と憲法」について「君が代に「民が代」2番加えていたら……」などと善案?をば提言。余りに浅はかな発想。戦後すぐの明るい民主主義(の誤解)から全く進歩しておらぬ進歩主義……。ジョン=ダワーの『敗北を抱きしめて』とか朝日の論説主幹なら読んでいるのだろうが咀嚼できておらぬのだろうか。
▼ところで廿五日の朝日に衆議院議長河野洋平君がハト派復権への提言か、国会は政府を監査する立場ながら与党が批判勢力とならず、首相は「野党はどうせ反対だから何度説明しても同じ」と国会軽視、イラク占領についても「日米協調を否定するつもりはないが日本は米国一辺倒であってはならない」のであり北朝鮮問題があるから米国への協調姿勢については「北朝鮮が危ないなら自衛隊が十汗をかくより外務省が百汗をかくべき」と。また憲法改正について「戦後半世紀がたち、ここで日本の進むべき塗を変えるべきだと、本当に皆さん思っているだろうか。憲法改正議論の基礎として国家の基本政策を変えるのか否か、現行憲法ではより良い国造りができないのかもう一度振り返ってほしい」として、自民党憲法改正が当初は「米国からの押しつけ」への反発だったのが最近は改憲により米国協調を容易にすることに変節があり「大きなエネルギーを使って憲法改正に没頭できるほど今わが国には何の問題もないのか」として特に自民党の戦争を知らぬ若手議員の安易な幼稚な改革主義に苦言。河野君の気持ちもわかるがすでに衆議院議長といふ職こそ嘗ての土井たか子君と同じでもう「上がり」状態で自民党はその河野君が危惧する世代が大手を振っての改革路線。95年の総裁選に出馬できなかったことでこの人の、つまり自民党の嘗ての保守本流ハト派が(加藤紘一君失脚がフィナーレだが)撃ち殺されたようなもの。