富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三月廿九日(月)小雨。昼にHappy Valleyの日本料理・吉祥にて鮪中落丼食す。吉祥がこの場所にもう半年以上前だろうが移って初めて。もともと芸能人などスノッブな方相手の飲み屋だった物件で穴蔵的に潜って店内に入れば個室も多く今もって芸能界だの著名はこういう場所好みかと思ったら隣の個室に立法会主席(議長)のF女史ら議会関係者の姿あり。店舗の空間に入った瞬間何か特有の湿気といふか肌にまとわりつくものあり。奥に潜るにかなり冷房きかせ除湿器などあちこちに置くの見てやはりと合点。この店が始る前からの何か地因かもとの酒場の残り香か芸人だの政治家だの派手好きの客多き店にはなるほどの「気」と思ふ。紀伊国屋より届いた書籍で新潮日本文学アルバム『吉田健一』写真ばかりめくってA氏に先にお貸しする。幼少の頃からさすが佳き相で写真が十歳くらいからいきなり四十近くに飛ぶ、幼ない子が一頁めくるとあの背筋を文字通りくの字に曲げて諧謔娯しむ笑顔で烟草くわえ美味そうに酒を飲む姿になってしまうのが吉田健一先生らしさ。また『東京の戦前・昔恋しい散歩地図』草思社と『昭和東京散歩・戦前』人文社も揃って届く。どちらも散歩などと銘打つが実際には前者は昭和6年発行の『ポケット東京大案内』地図帳、後者が昭和17年日本統制地図株式会社発行の東京区分詳細図等をもとに描き起しの地図、両者ともそれをもとにそれと同縮尺の当世地図との見開きで発想は一緒。だが何処かの書評でも紹介の際に書かれていたが前者が見やすいものの読み物的で而も『大ポケット』の地図全てを網羅しておらぬ点は惜しく、後者は地図帳としては全域を包括する点では優れているが原版地図を無理に旧区で区切ってしまい隣区は白地にしてしまう徹底が寧ろ地図の平面性、広域感を欠いてしまっている点は残念。結局、両方を机上に開いて見比べつつ、となる。荷風先生や樋口一葉日記など読む際に重宝のはず。四谷の辺り地図で眺め塩町から箪笥町にかけて祖母の空襲で焼け出される以前の話など思い出すがこの二冊見だしたらキリがないと慌てて閉じる。立川末広『競馬のない日はこの本を読もう』読む。偶然にも今週水曜日はHappy Valleyの夜競馬開催なし(笑)。『馬』『優駿』等に連載された随筆輯。QEII杯では昨年の疫禍の最中に来港し驚き喜ばせてくれたS氏が編集長つとめる月刊『ハロン』にも英国競馬紀行綴るこの著者の書評輯には月本さんの『賭ける魂』も紹介あり。いくつか読んだことある競走馬に関する本もあるが原作を原作の内容以上に「読みたい」と思わせてしまふのがこの立川末広といふ人の筆致。馬に関する話が多いが馬以外の話題更に面白く立川談志師匠の東横落語会での三平師匠逝去のあとの三平追悼の高座話はこの本で最も泣かせる話。ちなみに末広氏は当然談志師匠の弟子筋に非ず。ところでなぜ立川末広氏が文筆家として世に出たかといふのが巻頭の石川喬司井崎脩五郎との鼎談で井崎氏が語っているのだがこれが秀逸。
昭和五〇年のことなんですけど、僕の勤めているホースニュース社が出している週刊『馬』という雑誌に投稿してきたんですよ、立川末広という名前で。こんなのペンネームに決まってるし、万年筆で書いている原稿がすごく手慣れているんですよ。ははあ、これは業界の奴だなと、誰だって分かりますよ。それで、編集部で考えてこいつを驚かしてやろうと、いきなり本人に連絡もせず「新連載!立川末広」ですからね。週刊誌が出た途端に本人から電話がかかってきて「あの、あれはどういうことでしょうか……」。それ以来ですからもう二〇数年のつき合いですね。
とこういうのは邂うまえからの一期一会なのだろう。今にして思えば、友人に紹介され東北大医学部の付属病院で会ったN兄も、そのN兄が浅草公会堂と国立と同じ日に二度も芝居小屋での邂逅あった久が原のT君もN兄の話聞いて会う前から仲良くなれそうな予感あり、築地のH君とてH君がNといふ匿名で同人誌に書いていた頃に、月本氏でいへば初めて頂いたメールで、愛媛は松山のS君も皆同じように会う前にもはや感じるもの月並みだが何か「予感」あり。そういふもの。