富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

二月十七日(火)晴。夕方に百年ぶりに灣仔道の麦Qにて担々麺。依然、香港では珍しく麻辣(山椒)たっぷりだが店で曾て聞こえた四川訛りがふと気がつけば広東語、店員の顔眺めるに誰も嘗ての四川の田舎女に非ず。開店からかなり儲かり店を他者に転売か、きちんと香港に就労許可ないままの営業で四川に帰ったか、理由知らねどいずれにせよ他者の経営。麺は明らかに異なる小麦に機械打ち。百年ぶりに僅か5往復ながらそこそこ水泳。帰宅して鮭汁、オクラ納豆で夕餉。中森明夫『東京トンガリキッズ』読む。懐かしき当時。そう、銀座線の電車がホームに入る直前で電灯が一瞬消える、それを中森明夫は銀座線のウインクと呼んだけど、あの一瞬を、八十年代のいちばんカッコいい高校生のキスシーンにしてしまったのだった。東急文化会館プラネタリウム世田谷線。疲労著しく半分程しか読めず。
掲示板復活で蛙鳴氏曰く「「まさか」と思う書き手がたかだかあの映画で何かを語ろうとするところに無意識のナショナリズムの怖さ感じざるを得ず」と。一理あり。松本健一センセの北一輝本も完結だが築地のH君よりの報せで月刊『情況』の特集は「アジア主義北一輝」。で宮台先生が「亜細亜主義」だとか。どうやら本気で天皇社会主義か。新宿では市ヶ谷柳町近くの瑞光寺より市谷本村町防衛庁に向け爆発音と火弾らしきものあり。この一帯意外に土地の起伏あり火弾砲放ずるには現実的かも。一見、上智大など外堀で自衛隊と対峙する方向からが有効そうだが余りにも「表」過ぎて何もできず。市ヶ谷のこの乱歩的なる裏町こそ格好か。火弾砲が越える道は都営大江戸線市ヶ谷柳町より同新宿線曙橋にかけては多少狭くなる谷道ながら市ヶ谷自衛隊過ぎ四谷三丁目より創価学会、慶大医を越えて外苑、赤坂御所へと下る外苑東通り大江戸線新宿線とも帝都の地下開発の遺物かと思えば外苑東通りとて単なる地表の道とは思えず。焦臭き世の中。安保闘争三菱重工ビル爆破も浅間山荘も曾て在りしが少なくとも国が破綻来すような不安感はなし。高度経済成長といふ絶対安全多数に抗してのごく一部の負の側面にすぎず。それに対して今日日にその絶対安全多数なし。イラク自衛隊に死者があり今でこそイラク派兵をば上手く政府支持に結びつける政府も自衛隊に死者出た場合にテロに対する対応、報復措置生緩いなどとの非難世論にて生じた場合に右翼テロ及び結果的にそれに同調せし左翼過激派により首相暗殺など仮に起きればもはや本当に後戻りなどできぬ世の中になろう。
▼蛙鳴氏より「見当違いの政府系サイト」として教育改革国民会議の資料の紹介あり。(蛙鳴氏がなぜここから、なのかがもっと可笑しいのだが)。
・子どもを厳しく「飼い馴らす」必要があることを国民にアピールして覚悟してもらう
・「ここで時代が変わった」「変わらないと日本が滅びる」というようなことをアナウンスし、ショック療法を行う
などと、初めこの映画紹介サイトの冗談かと思ったが本当に内閣総理大臣官邸のサイト内にこんな資料があると知り愕然。しかも座長が江崎玲於奈博士。当時の首相は鮫の脳味噌と異名あったが脳味噌の重さでは江崎博士など充分な筈が研究者が筑波大学学長などと権力に弄ばされた段階でもうダメなのだろう、きっと。東北大工学部の西澤君も同じこと
▼福岡で小学校の校長先生されるK先生が国際理解教育について講演された、とメールあり。国際理解教育などと聞くとまたタテマエばかり、と思いがちであるがK先生曰く、日本はあと二十年もすれば完全な老人社会、若い労働力不足しどう考えても海外からの労働者受け入れなければならず。そういう社会が確実に到来するのだから国際理解、外国人受け入れが必須であり、教育がそれに真摯に取り組むべき、と。御意。そういえば十数年前のドイツでもトルコからの労働者受け入れる社会見たこと思い出し、それを返事すると、K先生曰く、ドイツでは東西が統合されるまでは西ドイツで労働力が不足し、外国人の低所得者が3Kについていたのですが、統合されると東ドイツからの労働力が流入して旧西ドイツではそれまでの外国人を追い出す為のデモがあったりそれで職を追い出されて、デモが起こったりと大変だった様です。随分国際的には進んでいるドイツですらそんな状態ですから、鎖国に近い単一民族の日本では早く国際理解教育をしておかないと大変な状況になるかもしれません。