富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

“Lost in Translation”

二月十六日(月)薄曇。Z嬢とフランシス=コッポラの娘が監督の“Lost in Translation”観る。崇高なほどロマンチックで繊細な映画(紐育時報)などと宣伝するが、日本へサントリーウヰスキーのCM撮影にやって来た中年のハリウッド・スター(ビル・マーレー)が、写真家の妻で旦那にくっついて東京に滞在中の若い女スカーレット・ヨハンソン)と偶然に新宿のパークハイアットホテルで出遇い、最後まで「やらず」の恋に陥る、といふ陳腐な物語。その陳腐さをどうにか作品とさせているのが背景にある東京及び東京都民(日本人か)といふ奇妙な都市と人々。理性的なこの二人はこの英語も満足に話せず奇妙な文化?有する社会「だから」恋に落ちたのであって同じパークハイアットでもロスのパークハイアットだったらこの二人はお互いを意識することもなし。つまりコッポラの娘のどうでもいい映画制作に東京=日本が利用されただけのこと。コッポラの娘であるから父コッポラの薫陶かアジアといふ渾沌(chaos)利用することでどうでもいい内容がそれらしく見えること会得しているのだろうが少なくとも父コッポラの『現代の黙示録』(あれを「地獄の……」と訳したのはさすが日本洋画界の呆題)ではマーロン=ブランド演じる米軍将校はベトナムで何かを達観し森林に消えたのだが、ここではビル=マーレーは日本から感じるのは奇妙さばかりでとにかく逃げたいの一心。エマニエル夫人ですらタイボクシングの勝者となる若者に「やられ」たりしながらタイの渾沌とした社会から何か感じていたのだが……。丹波哲郎がジェームス=ボンド助ける六十年代の東京や都民は一人として出てこずとも首都高でロケするだけでもインパクトあった『惑星ソラリス』などに比べてもこの“Lost in Translation”にはただ渾沌とする=理解できない社会としての東京とコミュニケーションすらとれぬ日本人がいるばかり。この主人公二人と映画の中で会話するのは仕事で彼らと関るヘンな英語話すCM関係者か酒に酔って二人と仲良くなっただけの遊び人たち、とホテル従業員、それにもう一人は病院で偶然に話しかけられたボケ老人だけ。それ以外の東京都民は全て無口で画面にただ存在するだけ。つまりこの映画にまともに日本人など存在しておらず。だいたい“Lost in Translation”などといふタイトルぢたい“translation”言葉通じぬための翻訳のなかで失ったものの意味は二つあり、一つはこの中年俳優と写真家の妻がそれぞれの妻と夫とのしっくりいかぬ関係、ともう一つは東京での言葉通じぬうえでのコミュニケーション。そんなタイトルつけられたことが我が国の馬鹿さ加減。よくぞ呆題を『東京ロスト・ラブ・ストーリー』などとつけなかったが、この『ロスト・イン・トランスレーション』という「英語の意味のわからない」呆題のおかげで日本での配給・公開でも日本人がこの作品に悪い印象ももたず。ただ見れば日本が余りに馬鹿にされているため不快感もたれる可能性あり作品の宣伝では前述した「崇高なほどロマンチックで繊細な映画」とかサウンドトラックの良さばかり賞めるしかなし。サントリーは映画でサントリーウヰスキーの宣伝になると思ったのだろうか?……明らかに所詮ウヰスキーの味などわからぬ国で作られている酒、と思われるのがオチ。東北新社やフジテレビも資金拠出してしまったため日本での映画ヒット祷るばかりだろうが、産経グループのフジテレビはこんな国辱映画に制作で加わっていいのだろうか。日本政府は日米同盟などと浮かれているがその親米派の小泉三世や外務省、財界が信奉する相手国にとって所詮は日本などこの程度の印象。この国辱映画を理由にイラクでの米国の占領活動への協力拒否し自衛隊引上げ検討くらいの遺憾の意でも表明してはどうか。東京とて、警察が映画の街頭ロケでの規制をかなり緩和した結果、この映画が外国映画でその規制緩和の最初の恩恵得て渋谷駅前などで撮影できたとか。その結果がこれ(笑)なら憲法改正して台本の検閲でもしたらどうであろうか。通常の「普通の国家」ならその国を舞台にここまで侮辱されたら正式に抗議するはず。それができぬのは、結局、自衛隊イラクに派遣などしてみたところで精神的に大人の「普通の国」になどとてもとても未だ成れておらぬ証左。小泉三世と舞台となった東京の石原都知事は真に我が国を愛するのならこの映画について正式に米国に意見表明すべき。映画見たのが国際金融中心(IFC)で其処にある築地・礼鮨なる寿司屋。味は初老の日本人の親方の仕事厳しくなかなか。礼鮨は「れいずし」と読むが余はこの「れいずし」なる音を聞いただけで築地にホントにこの名前の寿司屋あるの?と疑問。ちなみにGoogleでの検索でも104での電話番号紹介でも築地に、といふか世界中に?礼鮨なる寿司屋、この中環のIFC以外に存在せぬ模様。「菊鮨」の「キク」もこの「レイ」も音読みが普通名詞化した点では同じだが「熟れ(なれ)寿司」なら普通名詞だが「れいずし」なる音は天后の「紅(あか)寿司」と同じでかなり不自然。「紅寿司」が「べにずし」ならまだマシでこの寿司屋も余は当初「らいずし」と読んだほど。それにしても寿司屋で味噌汁が出るのは余は下品だと思ふが(寿司は摘まむもの)この店は寿司屋でありながらちらし寿司のセットに「かけそば」が付き、にぎり寿司にもサラダが。値段は北角の寿司・加藤の二倍なのは場所代として仕方無く、それは良しとして折角美味い寿司供すのだから、場所柄、きちんと寿司の味を理解した客も多かろうし、余計なそばだのサラダだのやめて、それと「築地」という暖簾の文句も「香港中環」にすべきでは。バスで灣仔。香港芸術中心のドイツ文化センター(Goethe Institute)で開催の“Home & Homeless”なる香港の「家」テーマにした四人の写真家による写真展参観。殊に鐘卓明氏のランタオ島の麻薬非行少年らの更正施設=家での写真良し。Z嬢と別れジム。尖沙咀のKimberley街の額縁屋にて正月に実家より持ってきた昭和十二年の丸善の大東京地図(142cm×106cmとかなりの大きさ)と昭和初期のかなり鮮明な多色刷りの北京城内地図(傷みなし)と昭和十年の歌舞伎役者番付を装丁に出す。九龍にて藪用済ませ帰宅のバスのなかで『世界』三月号読む。
▼十四日の日剰にて桜について言及しつつこの桜への記号性をいきなり明治とするは強引といへば強引、篤胤なら具体的な桜の象徴化がすでにあるかもしれず当然のように宣長までは遡ればならぬのだろう、と思いつつ、また山桜の、例えば吉野の山、また山の深きところにそびえ立つ老桜の威厳は歌舞伎でいへば関戸の小町桜、その山桜と江戸末期に駒込の染井村で改良され生れたといふソメイヨシノを一緒にしてはならぬ……などと漠然と考えておれば古典劇評論の村上君より重要なる示唆あり。
尊王(と言ふても幕末のいはゆる「志士」の尊王とは大分異質の半ば机上の理想主義)の志ありし松平樂翁の、恐らく「花月草紙」に、唐土には櫻なく本邦に限るなる考究あり、本居宣長の歌に「敷島の大和心を人問はゞ朝日に匂ふ山櫻花」の、戰前煙草の等級付の名稱原據(敷島→大和→朝日→櫻)となりたる著名なる一首あり。「花」といへば「櫻」なりと定位したるは古く「古今和歌集」の美意識にして、これを定式化なせしは中世連歌から近世俳諧のゲーム的言語感覺なり。維新以後突如として櫻花の一元的記號性が生じたるわけではなし。とはいへ貴兄の感ずる深甚なる原因は、愚考するに幕末「ソメイヨシノ」の人造培養なりたるが最大の要素なるべし。天然原種の山櫻は開花に遲速あり、到底「新學期=新年度」すなはち明治國家による政治的時間原點に一致しては花開かず。「ソメイヨシノ」は東京にては不思議と3月下旬の卒業式頃に蕾ほころび始め。4月1日を境に開花、入學式の頃には落花狼藉となる。人造種なれば個體差なく、かほど画一的なる花はなし。と申すもソメイヨシノは三倍體なれば種子にて種を殘す能はず、總て插木により蕃殖せざるを得ず、すなはち現今わが國土のみならず貴兄のゐます南海の果てまで咲き廣ごるソメイヨシノ悉く、幕末は江戸駒込染井村(と言はるゝも詳細一切不明なり)にて創出されたる一木一枝のクローンなるを思へば、ソメイヨシノこそ貴兄のおほせらるゝ象徴性を擔ふ「櫻」にて、西洋薔薇(今や菊・桐に次ぐ皇室の象徴なるべし)や西洋蘭と同樣、こは完全に明治の新植物。ソメイヨシノによりて驅逐されたる山櫻こそ江戸以前の古典の櫻、兩者は完全に別物と知らざるべからず。加うるに、(六代目)歌右衞門御最期の病褥に流れゐたる常磐津「關扉」は(六代目)畢生の當たり狂言、この小町櫻は三百年に餘る大木。山櫻は概して人間の及ばぬ長命を保つ花にして、古來占卜の龜甲鹿骨を炙るに使用せし薪もこれなり。落花を代掻きに鋤き入れ豐穰を願ふ櫻田の風習も是有、いづれにせよ山櫻は靈樹なり。これに比するにソメイヨシノは壽命短く百年もつことは殆どなく、七八十年にして衰老の古木となるは不思議と人間の壽命に似てそゞろ嫌惡の念すら湧くものなり。