富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

二月十八日(水)。朝の気温十八度、昼は廿三度とか。濃霧がどんよりと山を隠し何時の間にか香港らしき春より夏の気候。そごうの大分フェアで吉野鶏の豊後とりめし、あり。美味そうだが大分で鶏インフルエンザの報道あった翌日に、とは売るほうも不運。夕方タクシーの中で僅か五分競馬新聞見て馬券購入。ジムにて一時間徹底して有酸素運動。帰宅して競馬中継眺めつつ茸と海苔のパスタ。7レース中単勝で4つ当てて多少の収益あり。『世界』三月号の鉄鎖森巣鈴木女史の連載「自由を耐え忍ぶ」この題名がまた何ともいいのだが、これの第三章「自由とパノプティコン」は必読。ベンサムの社会理論持ち出し「自由」に焦点当て自由社会維持するための治安こそ今最も注目すべき点。現代社会はオーウェル的な中央集権管理型社会にはならず、寧ろ見えないところからの優しい管理の徹底があり、人を強制的に管理するのではなく、「ならずもの」やゴロツキといった「自由がもつ規範」から逸脱した人々を排除し、それから自由社会を守る仕組み。ホームレスであるとかフリーターといわれる半失業の若者たちもこの範疇と鈴木女史。現代の社会は競争の最大的効率が最も重要であり、その価値観にとってこういった資本価値を下げる存在こそ最大の敵。曾ての社会は中世からずっとこういったアウトローに存在場所があったのだが、今では中上健次の路地のような非日常の空間もどんどん「開発」された結果、こういった人々は路上に追い出された結果。社会は正常性を需要した者とそれを拒否した者との二分化が進み、異常者排除のため安全保障だの警備といったビジネスは興隆とそういった事業会社(保険会社もその一つであろう)による個人の管理。自由の代償としての終りなき監視。而も自由社会に於いて市場の個人の内面までの浸蝕(心理治療だの肉体改造だのまで!)により民主主義社会にとって最も大切なはずの人々の発言権までをも喪失し、それへの無力感ばかり。自由と安全保障の完ぺきなる関係。先日ようやく整理したものの読みたい記事だけ残したままになっていた新聞記事読む。
▼Kevin Sinclair氏、沙田のBranbury Hospiceが政府医療管理局の予算削減により存続の危機にあること紹介(SCMP)。医療管理局、その高官らに日本円でいへば1億円の年俸は払えても末期癌患者のホスピスは運営できず。医療管理局、SARSでの対応の拙さ世界中に報せ、此処が政府雇いの医療関係者厚遇雇用機関である実態をば世間に公開。このホスピス、風光明媚なる馬鞍山の丘陵に位置し、床数は廿六。遅かれ早かれ死を迎えることだけが決定づけられた癌者にせめて安静なる環境を、とが配慮。但しこの場所は「かなりフーコー的」でこの丘陵の麓は政府の大規模な沙田病院よりホスピスに上る亜公角路にはホスピスに続き香港のキリスト教系?雑誌『突破』の運営する青少年団体の突破青年村あり(ドイツの戦前の青少年教育活動的な世界)、更にこの道を上り詰めると非行少年など集めて収容する沙田男童院あり。病院、ホスピス、青年村、少年院の4つの厚生施設だけがこの風光明媚なる丘陵に点在。意味深。
▼BBCが悲鳴あげている。国家が投資はするが口を出さずが美徳であった筈の公共放送が保守党のサッチャーでなく、まさか労働党のブレアによって解体されようとは……。信報の十七日の社説に拠れば、BBCは1922年に英国の6つのラジオ局と電器会社統合し成立。米国の自由放任とソ連の管制型の中間で政治干渉も受けず商業的でもない公共放送として社会的責任と公共利益尊重を掲げ、政治圧力を受けず独立報道の立場を堅持すること。82年のフォークランド戦の折もBBCは中立を守り英軍をけして「我が軍」とは呼ばずサッチャーの激怒。欧州では全体で200億Euroが公共放送維持のために費やされており政府の財政危機で公共放送の存続にも大きな翳りあり。香港のRTHKも英国のBBCの経営形態と番組制作及び報道姿勢を標榜した公共放送であり、政治的中立が親中保守より見れば「極左」に映ろうといふもの。当然、独立した報道姿勢が保てるかどうかでは存続の危機にあり。
▼3月に香港にて開催予定のDavid Bowieの公演。Bowie先生のバンド、ドラムの奏者が熱心な法輪功の信者だそうでコンサート会場に法輪功アムネスティのブース設け宣伝活動まで。会場には「中国-法輪功の迫害を中止しろ!」だの「江沢民や中国独裁への制裁を!」といった横断幕までお目見えとか。Bowie先生も敢えてそれに口出しせず。で、香港公演がどうなることか、注目。