富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十二月十日(水)薄曇。睡眠不足続く。原稿書き日剰綴る頃り深夜二時ともなればさすがに睡魔に襲われるが臥牀せば復た目も冴えて読書。ここ数日大正期の『三田文学』にて活躍せし奇才山崎俊夫の全集読む。これで朝六時半には起床。一日かなり長い。昨日イラクへの自衛隊派遣基本計画決定され朝日は一面に社説を載せ「日本の道を誤らせるな」と。誤らせるな、などと嫌な物言い。「我々は道を誤るな」のはず。この距離感が朝日の嫌なところ。読売は一面に論考として「『無為』は許されない」と編集委員橋本五郎君の論考どころか「無意」の文章掲載。ちなみに読売は「無為」を何もせぬことの意で用いたが本来「無為」とは「自然のままで」作為するところのないこと、仏の教えでは因縁によって造作せられないもの、消滅変化しないもの。自然、絶対の意、と(広辞苑)。読売程度の諸君には理解できぬだろうが、無為とは本来「人為即ち「ひとの業」を用いぬことの意。老子曰く「聖人は無爲の事に處り不言の教へを行ふ。萬物作りて辭せず生まれて有せず爲して恃まず功を成して居らず」と(字通)。つまり無為とは何もせぬことどころか、因縁や人為(つまり具体的には日米同盟だのイラク侵攻だの)に左右されず作為せず自然のまま消滅変化せぬ絶対(つまり普遍的理念)であること。日本は本来、平和憲法有し積極的なる意味でのこの無為に則すべき。まぁ理解できぬだろうが。……自分でこう書いて加藤周一的(笑)、築地H君より「衒学的」な「小さな花」(笑)と感想給ふ。また読売は社説で当然自衛隊派遣を支持し「万が一の場合の対応について、首相は「どういう責任が生じるか、その時点で私が判断する」と、責任回避はしないという姿勢を明確にした。自らの決断の重さを吐露したものだろう。 一国の政治指導者であり、自衛隊の最高指揮官でもある以上、当然である」と褒めちぎるが小泉三世は「どういう責任が生じるか、その時点で私が判断する」と述べただけで責任回避せぬなどとは言っておらず。政治生命かけて責任とったところでこの人の政治生命=去就など自民党政権のなかで微塵たるもの寧ろ自民党にしれみれば「やれやれ変人去って、まぁ数年は小泉人気自民党維持できただけ幸いか」で済むだけのこと。その程度の責任の範疇にて国家の半世紀以上に及ぶ道議壊滅とは。本日はハッピーバレーの競馬場にて国際騎師錦標賽にてオリバー、武豊ペリエデットーリ、ファロン、スミヨン、キネンといった一流騎手ハッピーバレーに集結。この国際騎師錦標賽は第三、四と六場の三戦が対象ながらスミヨン君は七戦全てに参戦。いきなり第一場にて勝ってスミヨンの夜になるのかといふ期待と不安。結果的には調教師サイズ君五戦三贏。第二場でサイズ厩舎の歩飛揚の一着は当然として13倍の芙蓉鎮の二着に○していながら買えず。第三場からが国際騎師錦標賽で十七夜の月が美しく武豊君騎乗のTiramisuの先行射したサイズ厩舎の大豊収も連複58倍に印つけていて買わず。デットーリ君騎乗の百戦飛駒直線に入り骨折し減速デ君振落されるが飛行機墜落しても生延た不死身のデ君は大事とりレントゲン検査のため途中棄権。第六場は36倍の超力威(米国Espinoza君騎乗)かなり調教よく十戦未勝ながら◎としつつ「まさか」と大熱門の佛国領袖(デ君からモッセ君に騎乗代替)を◎とし超力威を複勝に据えたら超力威入って二着が佛国領袖と連複取るが36倍の単勝逃す。……とわかっていて買えぬ(つまりわかっておらず)が目立つ晩だが単勝4つと連複などでそこそこ収益あり。国際騎師錦標賽はEspinoza君優勝。郷里の母より著名なる篆刻師にいろいろお世話になり一文字お願いする要ありどうせならと愚息の「富」なる字をと心配り頂きファクスで図案二様届く。文藝春秋一月号にマイケル、ジャクソン君の記事あり(内容はマイケル君に疎き文春読者に節の話題についてゆけるように、という程度)マイケル君を現代アメリカ史上最大の奇人と形容するがもっと元首級の大物忘れてはいまいか。ところで昨晩食した上海料理の小南国。87年に上海で開業と歴史浅いがヌーベルシャンハイゼ?で高級上海料理ウケてあっという間に十軒だかに拡張。今では日本式焼肉や湯河原日式温泉など業務拡大。香港もこの店好評で萬宜大廈では隣にあった日本料理屋の場所も譲り受け銅鑼灣にも香港火鍋の大店徳興火鍋の跡地に小南国状元楼なる店を開業と勢いあり。確かに美味い。が商売の勢いでチェーン店化していまふというだけで余は駄目さふいふのは。チェーン店でも天婦羅新宿つな八は二三軒炭火焼肉だかも営むが天婦羅屋は天婦羅屋、紳士然とした揚げ方さんがカウンターにて天婦羅揚げる真剣勝負。新宿のつな八本店拡張して「アクアつな八」なる大型浴場は営まず。
▼South China Moring Post紙にLau Nai-Keungという全国人民政治協商会議の議員?が一国両制“One Country Two System”をもじって“One Country before Two System”という題で香港の自治をいふ前にまず国家あり、と。主張には賛同せぬが言葉の捩りとして上手いね。
▼大阪は堂島の友人より朝日の大阪版に野中広務先生の重要なコメントあり報せ。野中先生曰く「政府は早々と弔慰金などの引き上げを打ち上げた。人の命をカネで評価するようなやり方で、いまの日本は非常に怖い状態だ」「政府はこの事件ですら自衛隊派遣の弾みにした印象を受ける。昭和初期の戦争への道を、日本はまたひた走っている。そんな怖さを、私のような年寄りは感じている」と。朝日東京版には掲載されておらぬなら何故かと不審しいかぎり。
▼昨日綴った上野千鶴子先生の樋口陽一批判。築地のH君曰く「正確にいえば多分これはセジウィックの「ホモソーシャル」概念ですね」と(この概念については晶文社のこちら参照)。女性を排除して成立する「男同士の絆」。余が昨日述べたことはH君「上野先生の近代主義批判を「ホモソーシャルな共同体から排除された<できる女>の恨みつらみ」という文脈でとらえるのが新鮮」と。大学の卒論でジェンダーを研究したH君、上野先生のフェミニズムはずっと近代主義を主要なターゲットにした点で米国のフェミニズム経由の理論としては正しいが日本ではどうかと思う面もあり、と。日本で生きる以上、当面する最大の敵はモダンではなく前近代。これは上野先生に限らずポストモダニズムの論客にも共通にいえること、尤も浅田彰先生などは先帝の御下血の頃にいちはやくそれに気づいて前近代批判に軸足を移す。上野先生にしてみれば「そんなことはわかってる。マルクス主義フェミニズムはモダンもプレモダンもぶったぎる!」というところか。上野先生のジレンマはジェンダーの研究者とフェミニズムの活動家としてのその二つでの相剋なのかもも。男という性は結局これがホモソーシャルな部分で免除されてしまっている。
▼昨日の朝日見ていて「きいちのぬりえ」の蔦谷喜一氏が89歳でご存命と知る。三十年も前に雑誌ビックリハウスなどで「きいちのぬりえ」見て五十年代に流行ったそれで当然喜一氏は他界されていると思っていたが。中国の作家巴金に続く驚き。
▼外務省はイラクでの外交官殺害で遺体写真掲載した週刊現代に外相名で抗議し掲載誌の回収申し入れ(朝日)。写真は外電で世界に配信し香港紙も掲載。外務省は日本雑誌協会に掲載せぬよう要請し各社、日本人の好きな自粛のなか、いずれはどこかの週刊誌が、と思っていたが週刊現代がグラビアページではなく写真1点を名刺大で掲載し記事では「権力者たちに都合の悪い、一人一人の死に様は、一般人たちの目に触れることはない」「日本の権力者たちは、派兵を決定する前に、イラク戦争の犠牲になった二人のこの写真を正視するべきである」と主張。真っ当。外務省報道課は「亡くなった2人の人権にかかわることであり遺族の気持ちを深く傷つけるもの」で「強く抗議せざるを得」ず「報道の自由は承知しているが通常日本のメディアは遺体の映像をこのように扱ってこなかったはずだ」と。確かに。だが通常とは状況が異なる今回のイラク問題と日本の関わり。あの写真の無惨な様みればイラクの状況の深刻さ理解できるとういうもの。理解されては困るのが節(とき)の政府与党か。