富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

12月18日(月)曇。新聞で「養鶏場の火事で雛が焼鳥になってしまった」という、そう書くとそれほど面白みがないのだが「鶏場大火逾萬小鶏變燒鶏」と中文となると急にsounds goodで可笑しい。昨日の翡園酒家を悪く書いたが今日の昼に九龍酒店地下の環龍閣なる料理屋で飲茶してみて翡園とどっこいどっこいの味に翡園の評価は相対的に上る。環龍閣、こんな油っこい伊麺、あたしゃ今まで食べたことないよ、まったく。美輪明宏先生の『紫の履歴書』紀伊国屋より届きちょっと読み始めたら美輪先生の霊気か文章力か執念かすーっと本の中に入ってしまい、こんなの大宰か20年近く前にエンデの『モモ』を読んだ時みないな感じで、食事するのもシャワーするのも惜しいくらい。長崎に原爆が落ちた時の様子など聖書の黙示録のよう、それにしても疎開先の長崎市郊外の家の縁側、万寿姫の絵を描いていて出来上がりを確かめるために椅子をずらして立ち上がり後ろへ二、三歩下がった途端に爆弾が炸けたとは、まさに運命か。美輪先生の実家が長崎の裕福なカフエや料亭を営む家庭に生まれ、近所の劇場では阪妻宮城まり子から長谷川一夫の鷺娘、入江たか子の椿姫に三浦環蝶々夫人、四谷文子のカルメン、先代の河原崎国太郎の吃又の女房に鳴神の雲絶間姫を子どもの時に見ているとは、東京でだって稀なこと。戦争が終わって僅か10才の少年がしたことは丸刈りの頭を「戦争が終わった証拠に」と、おかっぱにいの一番に伸ばし始めたとは『暮らしの手帖』の花森先生より早かった、か。状況後の逸話についてはこれまでもいろいろ見聞きしており驚きこそせず一気に読了す。