農暦正月廿六日。曇。土曜。燈刻に家人が野暮用あつた中環の大舘(旧中央警察署)で待ち合はせ。何だか中身は空疎な感じする歴史的建物の文化商業利用の空間だが賑はひあり。Hollywood Rd歩いてすぐのFCCで早めの夕食。
家人と二人で道すがら「何を食べる?」と話してゐたら偶然に二人ともハンバーガーだつたのだが食譜のハンバーガーの項目に“US Beyond Buger™ ”美國未來漢堡なるものあり何かと思へば「大豆やエンドウ豆などを主原料として植物だけを使用して「本物の肉と全く同じ味の食品」の開発を目指して」と何やら薄気味悪い。菜食なら肉を喰ふな、である。帰宅して早寝。
メートルはかつては「地球のパリを通る北極点から赤道までの長さの1000万分の1」とされたが誤差あり今では「真空中で1秒の299,792,458分の1の時間に光が進む行程の長さ」とされ、時間もかつて「1秒は1日の86,400(60秒×60分×24時間)分の1」だつたものが今では「セシウム133の原子の基底状態の2つの超微細準位の間の遷移に対応する放射の周期の9,192,631 770倍に等しい時間」となつた。かうした自然そのものの性質である基礎物理定数に基づき計測基準を定める努力に対して今でもまだ未解決は「質量」でミクロ世界の自然現象から定義してマクロ世界で使へる単位にすることの困難で1kgは「最大密度温度での1 Lの水の質量」でフランスにある「国際キログラム原器(IPK)の質量」が世界基準のまゝ。アタシが理系の本を読むのも珍しいが度量衡、それの世界共通水準の定着がいかに政治的なことか。最初にメートル法が生まれたのが法蘭西革命。法蘭西はこれを国際基準とすべく、このメートル法を法蘭西の国家「所有」から国際度量衡委員会に権利を委ねたのは、まさに基本的人権であるとか理念を普遍的に世界共有のものとしようといふ姿勢。これは国家から国家連合へといふEUの理念とまさに同じ。それに対して英国が、その国際基準に同調せぬのも正に英国のEU離脱問題と一緒。そしてメートル法を未だに国家での単位とせぬのが米国。ちなみに英国は国内はまだ英国の度量衡を用ゐるが1884年にメートル条約に署名し輸出品などはメートルで、日本もこの国際基準にいち早く同調。スポーツでは100m競争に象徴されるやうに、走り幅跳びの世界新記録8.06米を「8ヤード2フィート5と64分の21インチ」(笑)と言はないやうに米英も致し方なくメートル法に従つてゐる。10進法は易く、それに基づく世界共通の度量衡は便利。スニーカーを買ふ時に香港で箱にcmに慣れてゐる日本人にUK、USも面倒。だが日本でも相変はらず「坪」や「畳」が使はれ永六輔が「生活単位として」尺貫復活に拘つたやうに(大正10年制定の法律で尺貫法の計量器を売つたり取引で尺貫法使ふと法律違反として処罰が課されることへの疑問)香港に暮らしてゐるとフィートといふ長さが部屋の面積や高さ、家具の調度の具体に実に適してゐると実感する。布地の販売もヤードで、女性のワンピースならドレスなら、男性の背広なら……とヤードが合ふ。グローバル化、それの世界基準、それが度量衡では一国のエゴに基づかぬ不公平のない自然定理に基づくことは少なくても英語が世界を席捲する言語世界よかまだマシな気はするが、それでもそれぞれの生活と文化に基づく度量衡は大切にしたいもの。それにしても米国の孤立は何とも……。
今日のFT週末版の読書欄より。“The reality was that Brexiters did not cherish Northern Ireland, rather it was a convenient tactics employed in a distinctly English power game” Diarmaid Ferriter wrote 100 years ago. 北アイルランドの帰属問題から今日のEU離脱まで問題は何も変はつてゐない。
Tax is paid by property and land owners at a standard rate of 15 per cent of their rental income. In the 2017-18 financial year, 27 per cent of Hong Kong’s HK$612 billion revenue came from land sales. Higher property values mean greater property taxes, which some say is making the city less attractive.