富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

吉原真里『親愛なるレニー』を読む

辰年四月十四日。小満。気温摂氏16.2/27.1度。晴。昨日豊昇龍に土をつけた休場明けの高安が本日も結びの一番で琴桜を敗るとは。

家人が図書館から借りてゐた吉原真里親愛なるレニー: レナード バーンスタインと戦後日本の物語』(アルテス)を通読。全てが数奇。著者が華府の国立アーカイヴでレナード=バーンスタインに関する膨大なデータのなかからバーンスタインと強烈な関係にあつた二人の日本人のマエストロへの個人的な手紙の束を見つけたこと。その膨大なデータにはバーンスタインとのトランプの賭けの精算にUS$1.37の小切手を送つてきたアイサック=スターンの書状「お金っていうのは自然に沸きだしてくるものじゃないんだから無駄づかいするなよ」とか、まだ当時10歳であつたヨーヨーマがカードに、その年に自分が勉強した三曲のコンチェルトについての報告と年明けにヨーヨーマが姉と共演の演奏会にマエストロを招待と書かれてゐるのださうな。他に小澤征爾五嶋みどり武満徹ソニー盛田昭夫大賀典雄らとの手紙も収蔵されてはゐるが、さうした著名人ではなく市井のAといふ女性は昭和22年!から40年に渡り熱烈なるファンレターをマエストロに送り続けマエストロの知遇を得て昭和36年*1エストロの紐育フィルでの初来日でお目通を得て親しく。もう一人は昭和54年に来日中のマエストロと出会ひ一夜にして同衾の悦びに耽つた当時三十代前半の男性Hである。二人とも通常からすれば異様にコアなファンで「逆に避けられてもおかしくもない」が大の「人たらし」のバーンスタインであるからかなり濃厚な個人的付き合ひとなる。殊にH氏についてはマエストロとの性的な関係もあからさまで華府の国立アーカイヴに貯蔵されたバーンスタイン関係のデータの中でも本人の生前は資料公開せぬ機密扱ひとされたところ、さうした機密性を知らぬ著者が資料閲覧請求をした際にアーカイヴの職員のケアレスミスでAさんの手紙ファイルと共にHさんの手紙も著者の閲覧となつてしまつたこと。これも偶然とはいへ稀。Aさんからの手紙はバーンスタインの妻・フェリーシャや作曲家コープラントと同じくフォルダーは3部ほどの量だが恋人であつたHさんとのフォルダは何十冊で二箱もあつたのださう。これまで誰も読んだことのない手紙を読み耽る著者。全てがとんでもない偶然である。しかしこの著作はさうした見かたによつてはスキャンダラスなだけではなくバーンスタインといふ稀有の音楽家の活躍を冷静に見つめてゐる。内容昭和36年の初来日も当時の米国の反共主義国務省やCIAはバーンスタインを「自由と民主主義の国」にとつて強力な宣伝材料だつたといふ。バーンスタインと紐育フィルの団員たちは静かに演奏に聞き入る日本の聴衆の集中力と熱意に感動し日立市茨城県)の小平記念会館では日立製作所が工員のためにコンサートが開催されてゐることに感動する。東京文化会館の音響にも感銘受け当時建設中であつた紐育リンカーンセンターの参考にしたいと前川國男の設計図閲覧を乞ふ。それにしてもHといふ日本人青年の半生が興味深い。クラシック音楽好きで30歳以上年上の来日中のマエストロと恋に落ちるといふのだから所謂「外専でフケ専なのね」で済まされてもおかしくないかもしれないが当時、損保系保険会社のエリートであつた彼はマエストロに感化されたか30過ぎで損保会社を退職し劇団四季に入り音楽評論やプロデュースで才能を発揮しマエストロの若い愛人の一人からマエストロの欧州でのツアーにまで同行しバースタイン晩年の札幌での若手の演奏家を集めたPMF(Pacific Music Festival)では重要な主要スタッフまで務めることになるのだから。そこまでバーンスタインとの出会ひからわずか6年のこと。まだ損保で働いてゐた彼がマエストロからの招待でミュンヘンに愛人招聘されたときの逸話が面白い。ミュンヘンのホテルでマエストロは中庭のプールに続く套間に滞在。夜8時からプールはこの套間の宿泊客専用になるためマエストロは歌劇の歌手らを招き大騒ぎ。プールで泳ぎバーンスタインはピアノでジャズを弾き深夜に至るとフロントから電話。他の宿泊客から騒音が迷惑と苦情だといふ。翌朝バーンスタインがフロントで尋ねるとフタッフの返事は「ペントハウスにご宿泊中のカラヤンさまでございます」。バーンスタインはそれを聞くと「これでもう一つ、カラヤンバーンスタイン伝説が増えた!」と半分憤慨で半分嬉しさうだつたと。著者による丹念なバーンスタインと二人の日本人との手紙の読解があつて、それを一つの著作にまとめる作業のなかで懸案はマエストロの若い愛人であつたH氏の手紙の著作権と公開の是非であつた。H氏は当初、この公開は日本語版については自分の死後にしてほしいと要望があつたが著者とのやりとりのなかで正確な仕事に徐々に理解が得られ結果的には日本語版ではご自身の英文の手紙の翻訳もされたさう(それによつて(おそらく英文の原文より)かなり格調高い日本語になつてゐる)。それにしてもこの著作がなかつたら我々が一切知る機会のなかつた二十世紀最大の人たらしのマエストロの姿なのだつた。

民主的なプロセスの意義を信じ、それに全力で参加しない者は、それに参加する人たちを批判する権利を道義的に放棄しているのです。その批判の対象が、われわれのめざずものからどれほど逸脱したとしても[自身が政治プロセスに参加しないのであれば、それを批判する権利はないのです]。

これはこの著作によるとバーンスタインが紐育のAll Souls Uniterian教会で演説したときの一説(1985年)で、それはこの教会のチャーチ牧師の説教からの引用。それを網上で探したらこちら。

"Anyone who has not sufficient faith in the democratic process to participate fully in its workings has relinquished his or her moral authority as a critic of its practitioners however far they fall from the mark we may set." 

Hope in the Nuclear Age | Leonard Bernstein

これはこのまゝ岩波書店の『世界』に出てゐても良いやうな内容。ところで、この著者(吉原真里)による著作は見事な編集力と構成で内容がじつにきちんと整理されてゐること。読者が例へばバーンスタインの半世紀としてだけ読みたいなら、そこだけ飛ばし読みできるしAさんの熱烈ファンぶりを読みたい/読みたくない、とかバーンスタインの同性愛的世界は見たり聞いたりしたくいとか、読者の勝手な好き嫌ひで如何様にでも飛ばし読みできるところは見事としか言ひやうがない。

親愛なるレニー: レナード・バーンスタインと戦後日本の物語

*1:本書41頁では昭和26年とあるが誤まりである。