富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

天狗党筑波山挙兵から160年

辰年三月初六。気温摂氏9.1/22.8度。晴。服装はすぐに夏物になりさうだが兎に角、厚手の冬物は仕舞はないといけない。薄手→厚手と出してゆくのは容易だが逆は衣類の整理が面倒。家人が先妣のもつてゐたお守りをまとめてあり神社に返納しようとなる。八幡宮はもう烈公(徳川斉昭)お手植ゑの左近の桜ももう見ごろ過ぎたかも知れないが午後に八幡宮へ。途中、母校の小学校の桜が美しい。母校は今の水戸芸術館のところで移転した場所はかつての水戸の警察学校で当時からの桜のはず。


f:id:fookpaktsuen:20240415220122j:image

f:id:fookpaktsuen:20240415220126j:image

すると普段は人通りも少ない金町通りが何だか賑やか。近づくと祭り提灯が並び法被姿の威勢の良い兄さん姉さんたち。八幡宮の春の例大祭が本日。小中と同窓のA君が神輿の社中で取り纏め役で行列は八幡宮に戻る手前、金町通りで休憩中だつたのでA君と暫し歓談。


f:id:fookpaktsuen:20240415220144j:image

f:id:fookpaktsuen:20240415220140j:image

神職がご神体の神輿を引き祭り神輿の続く行列が八幡宮に戻ると賑やかになるので先に八幡宮でお守り返納済ませ八幡宮を辞す。八幡宮境内の烈公お手植ゑの桜はもうやはり葉桜。社務所は行列が戻る前で例大祭が済んだあとの酒肴の準備に忙しい。暫くすると遠くまで境内で神輿を担いでゐるのだらう、賑やかな音が聞こえてきた。


f:id:fookpaktsuen:20240415220201j:image

f:id:fookpaktsuen:20240415220205j:image

八幡宮から崖下におりて湧き水の豊富な道を歩けば野良猫ミカが出迎へてくれたものだつたが冬前に近くの自動車修理工場にミカは住処を得たやうで最近見かけない。保和苑の谷の紫陽花もずいぶんと芽吹いて葉が青々としてきてもゐる。保和苑の遊園地も桜の花びらが一面に。八幡宮の喧騒がウソのやうにこちらはひっそり。

f:id:fookpaktsuen:20240415220217j:image

保和苑に隣接の(といふかもと/\は保和苑も寺社地)桂岸寺の枝垂れ桜もよろしい。

f:id:fookpaktsuen:20240415220239j:image

桂岸寺の隣はかつての水戸藩常磐共同墓地が広がる。その入口の大きな桜の木の下に整然と並ぶ墓石は水戸殉難志士之墓。元治元年の筑波山挙兵(天狗党の乱)に関はり処刑された尊王攘夷志士の遺体を集め明治3年に埋葬されたのがこちら。元治元年(1964)この挙兵は三月なので旧暦ならちょうど160年前の今頃。今の時代はもう当時の若者たちのやうな政治的な熱意もなにもない。

f:id:fookpaktsuen:20240415220243j:image

この殉難志士之墓で墓守なのかいつも佇んでゐる猫が近くの飼ひ猫の「ふう」ちゃん。いつも殉難志士の墓石に凭つて微睡んでゐる。桂岸寺の境内までが彼の縄張り。とても人懐こく今日も常磐共同墓地に墓参りに来られた長野ナンバーの車の家族にも愛想をうつてみせてゐた。


f:id:fookpaktsuen:20240416163817j:image

f:id:fookpaktsuen:20240416163821j:image

八幡宮の春の例大祭の賑やかな騒ぎがこちらまで聞こえてくる。あれはあれで宜からうがアタシは神輿を担いだり騒いだりできないので、こちらのやうな安静とした場所が好き。桂岸寺は「廿三夜尊」と呼ばれるのは旧暦の毎月廿三日が縁日だつたから。子どもの頃は廿三夜尊を略して「三夜尊さんやさん」と愛称で呼んでゐた。三夜尊の参道も今では営業してゐるのは木蘭酒家の一軒だけ。こちらの小菜の小皿料理を肴に青島啤酒をぐい/\煽る。