富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

硯修會第三屆公演@国立能楽堂

辰年正月十五日。気温摂氏▲1.1/9.7度。久々に晴。新橋から汐留に歩きパナソニック留美術館。事前予約で午前10時すぎからこちらの展覧を見る。今まで何度かシオサイトに出かけたが敷地内に高層ビルに埋もれるやうに旧新橋ステイショあることに初めて気づく。

1908年に竣工のUnity Templeイリノイ州)の美しさ。鉄筋コンクリートでこゝまで暖かさを醸し出されるのかしら。フランク=ロイド=ライト40歳の作品がこれ。浮世絵で江戸の芝居小屋のやうな。そして Prairie House の安心感。山水画のやうな Fallingwater(落水邸)の世界。設計図やデッサン、写真ばかりか建築工事の映像などいつまでも眺めてゐられる。当然のやうに東都の帝国ホテルが展示の中心にあるのだが、あの建築にメキシコのChichén Itzá 遺跡やインドネシアの寺院建築などの影響など具さに眺める。

銀座で宮脇賣扇庵、7丁目田屋の休業確認したらまだ少し前だが昼どき。銀座ライオンも、とんかつの銀座梅林も饂飩の佐藤養助だかとかも行列。蕎麦の「よし田」が空席あることを見上げながら久々に泰明庵へ。混雑してはゐたが並ばずに入れて相席で根つきの芹の蕎麦が出てくるまで酒(七本槍)をちび/\。鳩居堂に寄り4丁目の田屋。久々に Bow Tie を購める。今日は Bow Tie をしてゐたこともあるが田屋で店に入るなり「こちらです」と手結びのボウタイところに案内された。Barneys NYでも松屋三越でも蝶ネクタイはあつても出来合ひで手結びなどないわけで貴重。今日の国立能楽堂でのお能(硯修會)は午後3時からでまだ時間があつたので銀座線(赤坂見附乗換で)丸の内線で新宿3丁目。ほてい屋(伊勢丹)。メンズ館を上から巡回。昔の伊勢丹オリジナルのメンズ製品のあつた頃が懐かしい。今ではもうテナントビル。ヤマモト珈琲店により好きなジャーマンロースト(100g)だけ書ひ求める。ベルクにて啤酒飲んでから千駄ヶ谷

国立能楽堂。硯修會はワキ方の大日方寛、狂言の山本泰太郎と笛の竹市学によるユニット。今回の第3回公演は2021年5月に開催予定のところ直前の緊急事態宣言で中止のもののリベンジ。塩津哲生師の謡で元太郎氏の太鼓、竹市師の笛で〈龍田〉のあと狂言〈縄綯〉は(チラシでは)アドが凛太郎(主人)と東次郎のところ、其々、則孝、則重。能〈隅田川〉は、この子別れの状況に戦争直後は息子を戦争で兵隊に取られた父母が涙した、と村上湛君に聞いたが好きな曲目。本日は塩津家で子役に希介君が出るため父(塩津圭介)が子役の後見に入り、孫の出演に後見の祖父(哲生師)の緊張と感無量な表情につい目がいつてしまふ。囃子方は大鼓が國川純に代はり柿原光博、小皷が観世新九郎に笛が竹市師でシテ(狩野了一)、大日向さんのワキ好演。隅田川の船頭が大念仏のまるで導師となるのは現実的には違和感があるが大日向さんのそれは「さもありなむ」といふほどの高尚な人格であつた。後半、狂女(母)は息子(梅若丸)の供養に念仏(南無阿弥陀仏)を唱へ、それで母の前に梅若丸の亡霊が現れるのだが、念仏(南無阿弥陀仏)は確かに4-3-3の十回。昨日、叔父の一回忌法要で住職が十念につき説かれ南無阿弥陀仏十遍唱へてゐた。喜多流らしいといへば良いのか、かなりプラグマティックな〈隅田川〉を拝見して、これはこれで実に興味深いものとなつた。

本日は旧暦正月の元宵。家人からは水府で東空に見事な月の出とLINEあり。新宿で高い空にクリアな月を愛でる。