癸卯年十二月大晦。気温摂氏▲0.2/11/1度。晴。自家用車の3年の車検終わり引き取り。買ひ物の下駄かはりに、と思つて購入した軽自動車だつたが遠出はせいぜい福島、日光、桐生や所沢あたりまで其々一度出かけたきりで首都高も未踏だつたが家人親元の佐倉に出かけることも少なからず3年で28千粁余乗つてゐた。それでもまだコンディションも悪くない。乗り始めて1年もたゝぬところで高速道路運転があること見据ゑタイヤを履き替へたのも良かつたかも。
奈良のお寺(岡本寺)より星供養のお札が届く。
▼昭和53年10月「ゴーサントオ」のダイヤ改正時刻表を眺めてゐたら自分にとつては実際に自分で鉄道旅行するやうになつた頃のものなので実に懐かしいのだがエル特急など鉄道の全国的な規格化も著しく列車に個性がなくなるキッカケにもなつたダイヤ改正なので、その10年前の全国ダイヤ白紙大改正の昭和43年10月(ヨンサントオ)の時刻表もやはり眺めてみたくなつた。
東海道線こそ新幹線開通で昼間の特急が姿を消してゐるものゝ夜行の寝台特急ばかりか東京から長崎行きの急行ながさき(0725→翌日0651)や西鹿児島行きの急行桜島(1030→翌日1204)など走つてゐる。東北本線電化完成で583系の電車寝台特急が走り(はつかり、はくつる)高度経済成長後期のまことに賑やかな時代であつた。当時の常磐線は特急は夜行のゆうづるだけ。水戸〜上野は急行ときわ号が主軸。常陸大宮に住んでゐた母方の祖母が上京するときは水郡線から急行奥久慈号が便利で水戸から急行ときわ号と連結されるので水戸からそれに乗り込んむことがよくあつた。たまに1等車に乗せてもらへるのも楽しみ。