富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

癸卯年十二月廿九日

気温摂氏▲1.5/11.3度。晴。毛筆が苦手で香典や祝儀など熨斗袋に名前認ためるだけでいつも悲しくなる。筆ペンでもきちんといつも使ひなれることが少しでも上達だと思ふのだが雑誌の記事(銀座百点1月号)で筆ペンより万年毛筆が書き易いといふ記事を見て(また筆ペンは伊東屋鳩居堂が万年毛筆とか)早速その万年毛筆を購入。普及レベルでこちら(くれ竹万年毛筆 漆調 黒軸 DU140-15C)。

それでもやはり毛筆で字は下手なまゝ。

国鉄の大規模ダイヤ改正といへば昭和43年10月の所謂「ヨンサントオ」だがアタシにとつては東海道山陽新幹線の博多開業(昭和50年3月)のあと昭和53年10月の「ゴオサントオ」こそ栄光の国鉄最後の大規模なダイヤ改正であり自分が青春18きっぷなどで鉄道の遠出が自由にできたころで一番懐かしいところ。そこでこのゴオサントオの時(復刻版)買ひ求め懐かしく頁を捲る。何よりも上野駅のなんと賑やかなこと。新幹線開通で在来線がダメになるスパイラル以前(東海道本線東海道新幹線開通があつても夜行の寝台特急が現役だつた)。

文豪が愛した山の上ホテル「いつかまた」13日休業:朝日新聞

天ぷらの近藤で池波先生には遭遇できなかつたが伊集院静さんにはロビー月本さんがご挨拶するとき傍で尊顔を拝する機会があつた。

ダブルルーム 601号室|山の上ホテル

この“Mozart Room”に泊まつたとき化粧台の鏡に大きな傷がついてゐたのが悲しかつた。誰か痴話喧嘩でもしたのかしら。

朝日新聞の記事より引用)池波(正太郎)の客室担当を長く務めた中村さんはルームサービスで天丼の注文が入ると料理人が生きたエビを取り出し「揚げたてを3分以内に運んでいました」と懐かしむ。その池波に「付き合ってくれ」と頼まれ神保町の古書店巡りにお供したこともしばしばあったという。買い物が終わると一緒に名店「神田まつや」でそばを啜った。日本酒を飲み酔っ払う池波。中村さんは「片手で先生を支え、もう片方の手で古書が詰まった風呂敷包みを持ちホテルまでの坂道を上がりました」と笑う。

マヂか?昔の人はよく歩くにしても(若くもない)池波正太郎山の上ホテルから神保町で古書漁り、そこから須田町の「まつや」に赴きタクシーにも乗らず、ホテルに戻るのに最短なら甲賀通りだが、あの坂を支えられてにせよ歩いて上つたのは信じられない。

「大人の居場所がある」土屋礼央が語るTBSラジオの魅力 | 毎日新聞(広告記事)

確かにTBSラヂオの番組には「大人の居場所がある」だらう。パーソナリティも地味に個性豊か。パーソナリティが同局の他のパーソナリティについて言及したりも多い。よく「おぎやはぎ」というパーソナリティの名前を聞くが実際にこの方の番組を聞いたことがなかつた。その人が小木と矢作の2人組と知ったのは一昨日読んだ『銀座百点』2月号での山田五郎との鼎談だった。