富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

黒川の王祇祭その②

癸卯年十二月廿二日。気温(鶴岡)摂氏▲2.3/9.4度。雨のち雪(2cm)。強風(15.3m)。

本日は未明に春日神社から御神体(王祇様)二体が社を下りて王祇さまはそれぞれ上座、下座へと王祇守りに担がれ子どもらを連れて出かけてゆく。当屋ではそれのお迎へ。私らの寄宿するN家(安芸守)は上座。今回は当屋は自宅ではなく黒川の公民館としたのでご自宅は脇宿。雨が本降りで私ら4人は自家用車に便乗させていたゞく。当屋では折守おりもりと呼ばれる男衆二人が全体の流れを仕切り所帯持、若衆らが王祇様お迎への準備。私らは他所者なのに当屋の一員として仕事を眺める側で末席を汚すばかり。王祇様の行列が当屋に到着。王祇守りや若衆ら衣装は濡れてびっしょり。寒さにしても雨は雪よりも辛い。当屋では玄関から「王祇筵」と呼ばれる筵が三枚並べて敷かれ王祇様ご一行はその筵の上を進む。筵は最後の一枚がまた先頭へと折守によつて先頭へと操られる。これは湛君から「往古、天皇に敷き参らせた筵道えんどうに同じ」と教はる。

王祇様お連れした王祇守りや子どもらに朝食膳振る舞はれ、私どももご相伴にあづかる。岩海苔たつぷりのけんちん汁……と思つたらお雑煮。このお餅がじつにしっかりとして美味い。朝から世帯持に勧められるまゝに御酒を随分といたゞく。

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一旦、脇宿に戻り仮眠。午前十時に当座まで歩いてゆく。脇宿から当屋までは750mほどで歩けば10分程。当座では春日神社の神官が王祇様に布着せの最中。布を着せた御神体が当座に祀られる。上座の当主が裃姿で一堂に会して座狩りと当乞ひが始まる。壮観。一人一人の名前を呼び上げ出席を質して(座狩り)次に来年の当屋を確認(物乞ひ)。そこから当屋により祝膳が出され酒宴となる。祝ひの濁り酒。豆腐と五寸の牛蒡は山椒たつぷりの醤油ベースの「二番汁*1」につけていたゞくのだが、この山椒のタレにハマる。納豆(酒田納豆)は塩味で庄内米の白飯に香の物各種。ご飯が喉に詰まれば茶水は出されてゐないから御酒をぐいっと飲むことに。まぁ至極。この料理も精進。本来、神事では魚など忌まぬので、こゝまでの精進は元々神仏混淆の祭ゆゑだからだらう(湛君)。ちなみに下座では祝膳のお振舞ひが先で布着せ、座狩りとなる。これは神官が両座を回るためだらう。脇宿に戻ると、こちらはこちらで接待の酒宴始まつており盛況。

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雨はだいぶおさまつたが地鳴りかと思ふほどの強風で外出も厭はれ布団に潜り込み昼寝。Y氏とテキストエディタの話になりY氏もAppleお使ひなのでアタシがUlyssesを紹介する。“Ulysses”とへば邦訳は丸谷才一で、といふ話になつたが偶然だが丸谷才一こそ鶴岡の出身だつた。晩の当屋での能の前に脇宿でお昼と同じ献立で早めの夕餉。こちらでもまた所帯持の方に勧められるままに大酒。雪が降り始める。月山はもう昨日の夜から眺められない。

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当屋に往くと座狩り、物乞ひのあと能舞台が組まれてゐた。大地踏、式三番と進むが後者は本当にゆっくりで1時間たつぷり。それにしても本当にこの黒川の男衆が能を舞ひ地謡囃子方まで勤めてゐる光景にほれ/\。脇能は〈難波〉で当屋のお孫さんは後ツレ(木華咲耶コノハナノサクヤヒメ)をとてもしっかりと勤められ動きはまことに美しい。幼い頃から能を見て大地踏も経験して、更に天性の素質なのかしら。狂言は〈靱猿うつぼさる〉で東京から某狂言師御一行も参観されてゐた。こゝまで4時間たっぷり。こゝで中入りで能ご披露の方々は膳が出され小一時間。そこから能〈道成寺〉、狂言(こんかい)に能〈羅生門〉〈淡路〉と続き(従前は夜通しの能披露だつたが)今回は午前二時半終演予定の由。明日も早いので(って黒川の皆さんはさらに休息の時間もないのだが)〈靭猿〉終はつたタイミングで当屋を辞して脇宿に戻る。それでも御酒(大山)を求めて一升瓶で酒盛り。

今晩の能はN氏はお一人、上座で〈靭猿〉までご覧になり下座に向かはれ予定通り零時半すぎに終演となつた下座から上座に戻られたらまだ〈道成寺〉の途中だつたさう。

*1:酒を沸騰する寸前まで温め醤油を入れ細かく刻んだ胡桃、海苔に山椒たつぷり。当屋に貼られた奉納品のなかに山椒や胡桃があつたのは、これで合点。