富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

年の瀬は流れやまぬも牛久沼

癸卯年十一月十七日。気温摂氏▲1.1/14.8度。晴。

常磐線で取手以南は(特急もときわが柏に停まるだけだが)普通列車も「常磐線快速」になつてしまひ快速の停まる我孫子、柏、松戸以外の常磐線各駅停車の駅は通過。天王台、北柏、南柏北小金、新松戸、馬橋、北松戸は車窓からホームを眺めるばかり。

ところで「普通列車」と「各駅停車」について。

鉄道の疑問「各駅停車と普通は何が違うのか?」|とある地学屋の日常by井上雄介

とてもわかりやすく解説されてゐるが常磐線の列車の普通列車常磐線電車区間である取手以南だと、それが快速に。やゝこしいが中央線(快速)総武線(各駅停車)と同じ解釈。

閑話休題その中でも子どもの頃からいつも気になるのが馬橋駅でJR線の西にある小さなホームから出る流電流山線なのだつた。それに乗らなければならない。家人と一緒に水戸から普通列車で土浦乗換へ常磐線快速は馬橋通過で松戸。常磐線各停の下りで馬橋。馬橋駅前の立ち食ひ蕎麦(兎屋)。流山線は昼間、馬橋発は毎時16、36、56分で2両編成の列車に乗客は10名にも足らず。


f:id:fookpaktsuen:20231230083137j:image

f:id:fookpaktsuen:20231230083140j:image

なんとも長閑。電車はほぼ常磐線と並行して新坂川に沿ひ北上。一つ目の幸谷駅が武蔵野線常磐線新松戸駅と隣接で、それに馬橋より新松戸の方が賑やかなので乗降客が少なくない。小金城址鰭ヶ崎ひれがさきを経て平和台(旧赤城)駅で下車。駅前は典型的な首都圏郊外のどこにでもある風景だが伊藤羊華堂(流山店)から流山街道(県道5号線)を越え江戸川に近い天晴通り→万正通りに出ると古風な商家や住宅が点在。江戸後期の俳人小林一茶は流山の商家が面倒みてくれ幾度となく流山に滞在してゐるが一茶双樹記念館は本日から年末年始休業。流山といへば味醂。江戸中期の文化11年に酒造相模屋二代目当主堀切紋次郎が澄んだ白味醂醸造に成功して(それまでの味醂といへば関西の濃色のもの)江戸から日本全国に東名物として馳名が万上本味醂

関東のほまれはこれぞ一力で上なき味醂醸すさがみ

「一力」を一文字で万として「上なき」の上をとつて「万上」とした由。この堀切家の万上味醂に対して大正6年に野田醤油株式会社(亀甲萬)が出資し万上は株式会社化したが同14年に万上味醂キッコーマンに合併し流山の白味醂工場は今日のキッコーマン流山工場への沿革を辿ることになる。それにしても万上通りのあたりは古家多く散歩も楽しい。近藤勇陣屋後にある秋元酒店で万上本味醂を1本(1ℓ)贖ふ。

江戸川の矢河原やっからの渡し跡から続く諏訪通(現在の県道278号線)まで歩き流山駅に辿る。

f:id:fookpaktsuen:20231230083200j:image
流山駅から馬橋に向かふ上り?電車の乗客は6人ほど。首都圏のローカル線は困難な経営のなか今日も走る。同じ流山でもTX(つくばエクスプレス線)で三郷から江戸川を渡つた南流山から流山센트럴파크、流山오타카노모리の沿線は東京への通勤が楽で人口増加も顕著だが流山電鉄(流電)はそれに抗ふかのやうに(抗へなんでしないのだけど)今日もゆっくりと走り続けるのであつた。


f:id:fookpaktsuen:20231230083226j:image

f:id:fookpaktsuen:20231230083223j:image

馬橋から常磐線各停で柏まで下り常磐線快速=常磐線普通列車(諄すぎ!)で牛久へ。歩いて牛久シャトーへ。


f:id:fookpaktsuen:20231230083256j:image

f:id:fookpaktsuen:20231230083259j:image

三河出身の神谷傳兵衛(1856〜1922)が明治初頭に横浜でフランス系のフレッレ商会で老工として働き始め葡萄の醸造酒に出会ひ明治13(1880)年に浅草花川戸でみかはや銘酒店(後の神谷バー)開業。葡萄酒は製造も売上も伸びぬなか蜂蜜加へた甘味葡萄酒(ハニーワイン)が流行り滋養強壮で電気ブランも当て傳兵衛は養子傳蔵を渡仏させボルドーの葡萄酒醸造所で葡萄栽培、醸造機械操作や醸造を学ばせ、明治30年茨城県稲敷郡女化おなばけ原の原野120町歩購入して葡萄栽培開始したのがこの地。


f:id:fookpaktsuen:20231230083327j:image

f:id:fookpaktsuen:20231230083324j:image

牛久醸造場は甲府勝沼と並ぶ日本の二大葡萄酒醸造地とはなつたが結果的に生産量も安定=つまり拡大せず戦時中の葡萄園荒廃で戦後は土地解放で葡萄酒生産は事実上の終焉。施設は〈牛久シャトー〉なる昭和的レジャー施設として賑はつた。合同酒精からオエノンへの「進化」が何だかとても新自由主義的で胡散臭く感じるのはアタシだけかしら。


f:id:fookpaktsuen:20231230083350j:image

f:id:fookpaktsuen:20231230083347j:image

早番に牛久といへば鰻でやす川。松戸I君家族と丁度1年前の今日こゝで会食の予定が前日この店より電話でスタッフに感染者が出たので休業と知らされ会食も取り消し。1年過ぎての所謂リベンジになつたが今なら感染者出てもあんな騒ぐこともないだらう。I君家では次男R君流感で本日お母さんと自宅待機に(パンダの折り紙レターを貰つた)。白焼、う巻き、肝焼きでうな重。大人はゆっくりと酒を飲んでゐれば良いが長男T君は中1の食べ盛りで最初からうな丼でうな重で〆。どれだけ日本酒を飲んだか、お運びの女子の話ではこちらの徳利は1合になみ/\で1合2勺あるさう。


f:id:fookpaktsuen:20231230203014j:image

f:id:fookpaktsuen:20231230203029j:image

常磐線普通列車のG車で水戸に戻るが年末で特急は満席でもこちらはガラ/\であつた。