富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

「かまいしの第九」の終はり

癸卯年十一月十六日。気温摂氏0.2/9.5度。この歳末唯一の所謂「忘年会」に招かれ末席を汚す(木蘭酒家)。この会の前に燈刻、大工町のバーHでドライマティーニと名前失念のスコッチ一盡。

岩手釜石の畏友より葉書が届く。この時期に葉書が届くと喪中のお知らせか?とドキリとするがさうでなかつた。先日、屠蘇散送つた返礼の葉書。彼にとつて正月は「また3月11日が来る」さういふ時節だと。かつて9万人を超えた釜石の人口が今年3万人を下回つたのださう。

同演奏会は、旧市民文化会館の落成(1978年)を記念して、同館のこけら落とし公演として行われたのが始まり。同市出身で、東京荒川少年少女合唱隊(東京都荒川区)の創設者・故渡邊顕麿さん(1931-96)が帰郷後、市内に複数の合唱団を立ち上げ活動する中で、第九演奏を提案した。以来、毎年12月に開催。2011年の東日本大震災津波で同館が被災後は釜石高体育館で続けられ、17年から新たに落成した市民ホールTETTOで開かれてきた。新型コロナウイルス禍で20、21年は中止を余儀なくされ、昨年復活開催したが実行委は「事業を支えるだけの“体力”を維持できなくなった」として一旦区切りをつけることを決断。背景に運営の中心を担ってきたメンバーの高齢化、コロナ禍による経済低迷で協賛金などを募ることも難しくなったことがある。(かまいし情報ポータブルサイト「緑とらんす」より

東京だけが賑やかにしてゐて、この国は何うなるのかしら。