富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

旧美和村の高部宿

癸卯年十一月初六。気温摂氏▲1.5/9.4度。晴。先週、珈琲を入れる愛用の水筒見つからず。先々週の土曜に水郡線地酒列車に搭乗の日、往路の水郡線で窓際が狭くて水筒を置けず椅子の隅に置き忘れてゐたか、と一昨日やつと気づきJR東日本HPでチャットと語らひわかつたことは水筒は大子駅から数日前に大子警察署に移管されてゐた。それの受け取り。家人と自動車で大子へ。途中、国道118号線は行楽シーズンだと袋田の滝入り口で渋滞のところ20数年越しで袋田バイパスで開通してゐて秋の行楽シーズンも過ぎた今日のやうな平日でも大子市街まで10分ほど時間短縮されてゐた。大子の今朝の気温は摂氏▲5度近く。さすがに昼でも4度ほどで寒い。警察署で水筒受け取り常陸大子駅前の旅館玉屋へ。

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女将さんからすると「あら、また来られたの?」だつたが今日は軍鶏弁当ではなく軍鶏の親子丼をいたゞく。個人的にはこちらの方が美味。折角、自動車で大子まで来たので大子から栃木との県境に近い山間の峠(タバッコ峠)を越え自動車で30分ほどで旧美和村の高部宿たかぶしゅくへ。佐竹7代義胤の5男・高部景義たかぶかげよしが築いたといはれる高部城があつたさう。江戸時代になると特産の和紙や葉煙草商ふ商人が軒を連ね明治時代になると商家は財力にものをいはせ街道筋に見事な建物が並び独特の風情。この地区が戦後の経済成長に置いていかれたことで明治期の建物が今日まで残存。


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岡山家。酒造業。銘柄は「花の友」。街道に面した三階建の楼閣は明治20(1887)年建立の喜雨亭*1水戸偕楽園好文亭がモデルなのだとか(随分と趣きが異なるが)。建物裏手の緒川に接した傾斜地を造園した庭園「養浩園」も見事。私有地ながら3〜11月の毎月第三土曜日は常陸大宮市により庭園開放がある由。


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国松家。明治10(1877)年より酒造業。街道に面した洋館は明治41(1908)年より旧高部郵便局として使用。


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間宮家。明治35(1901)年築。伝統的な山間ひの日本家屋と東側に3階建て洋館が接続の和洋折衷住宅洋館(国の登録文化財)1階は当時、馬頭銀行の支店として使はれてゐたさう。


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建物の玄関上に飲食接待業の許可証が掛けてあるため割烹旅館のやうな施設だつたのかしら。旧美和村は茨城県で現在は常陸大宮市編入されてゐるが高部宿の唯一の金融機関が栃木県の烏山信用金庫の支店で町中の酒の看板も烏山の東力士であつた。街道つながりで経済圏は下野しもつけ国の烏山につながつてゐる。旧美和村から小瀬の旧緒川村、旧御前山町から旧桂村を経て旧城北町石塚を抜け水府に戻る。

元関脇寺尾の錣山親方(60)死去:朝日新聞

今でこそ両国の場所は欠かさず見てゐるがアタシが初めて大相撲を見に築地T君と両国に出かけたのがもう6年前近く前の初場所。入り口のモギリに朝早くから元寺尾関が当番で驚いた。冬の寒空ながら相撲取りといふといつも薄着で汗をかいてゐる印象なので親方とはいへ錣山親方が厚手のコートで寒そうにしてゐたのが印象に残る。

朝日新聞錣山親方の時折の相撲評(こちら)も楽しく読ませてもらつてゐた。

立田川親方が年寄「錣山」に名跡変更し部屋継承へ 九州場所前に「部屋を頼む」と…最後の会話に : 日刊スポーツ

哀悼。

*1:喜雨亭は杜甫「春夜喜雨」より。