富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

Qui suis je?

癸卯年十一月初四日。気温摂氏8.1/17.7度。雨(3.0mm)湿度93%で梅雨のやう。

Qui suis je?

四半期に一度の資生堂のポイント還元で資生堂京成百貨店)で買ひ物したところ化粧液の1/3サイズの試用品をいたゞいた。それだけで2,570円くらいで限定頒布ださう。

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進むべき道が見えなくなった 佐伯啓思さんが考える日本の現在地:朝日新聞

佐伯先生は山本七平(1921~91)から語る。戦前と戦後で果たして何かが変わったのか。戦前には「天皇陛下万歳、鬼畜米英」を叫んでいた日本人が1945年8月15日を境に「マッカーサー万歳、民主主義万歳」へと豹変したのはなぜか。実は「天皇陛下万歳」も「鬼畜米英」も本心から信じていたわけではない。戦後は「民主主義」の絶対化。天皇から米国へ。その構造は何ひとつ変わらない。奉り上げるものは変わったが「人々は慣習や常識に従って日々の生活を繰り返しているだけ」。ほとんどの者は「天皇とは何か」「民主主義とは何か」「アメリカとは何か」などまともに考えたこともない。皆で「空気」を作り出し、その「空気」に従う。それでは今日われわれは何を価値の基準にしているのか。冷戦以降、世界はいわゆるグローバリズムの時代となり、われわれは「グローバルな世界」をとりあえずの価値基準にした。しかし「グローバルな世界文明」はいくらまつり上げられても誰もそれを実感として捉えることはできない。端的にいえば、庶民大衆は「グローバルな世界」なるものを担ぎ上げてはいるものの「天皇」や「民主主義」と同様、誰もそれを信じてはいない。日本の歴史上これほど国をまとめ国の進むべき方向を指し示す価値基準が見えなくなった時代は稀。「海外の高度な普遍文明」を指標とし、それを学び「日本化」することで国の秩序と価値を維持してきた日本のやり方がほとんど意味を失ってしまつた。……そこまでまことに納得で読み進めたのだが、かうした論考の最後が対極的に漠然とした展望で終はるのは新聞の社説でも、どの論説文でも社会科学系卒論とかでもよくあること。

だが考えてみれば、それはまた日本の長い歴史を貫いてきた「海外の先進文明に追いつく」という不安な心理的前提からの解放をも意味しているだろう。「中国」も「西洋」も「アメリカ」も、そして「グローバルな世界」ももはや価値基準とはならないのである。「追いつくべき先」などどこにもない。そうであれば、今日こそ改めて我々は我々の手で自前の日本の将来像を描くほかなかろう。

これまで千五百年?も自らのアイデンティティを独自に築くことができなかつたのに中国や西欧が基準にならなくなつたからといつて「我々の手で自前の日本の将来像を描く」ことなんてできるのかしら。