富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

跟我哋返一次大陸

癸卯年十月廿三日。気温摂氏0.4/10.9度。曇。陽光なく室内も肌寒い。陋宅で居間の間仕切りをして寒さ凌ぐがアラヂンのストーブで気温20度以上にはならない。夜遅く雨(1.0mm)。市田良彦フーコーの〈哲学〉 真理の政治史へ』(岩波書店)読むのあきらめる。内容が門外漢には難解かもしれないが、それ以上にこの思考世界に自分が興味も関心もない。フーコーの著作をあまり考えずに楽しんで読んでゐれば良いのだらう。

日大理事長林真理子会見のまぁ見苦しいこと。会見の最後で尾形氏(Arc Times)に突っ込まれてゐたがアメフト部廃部といふ内部の決定を理事会で継続審議とブレもひどく自らきちんと理事長判断をするか辞任すべきではないか、と。昨日のビバリー(LF)で高田先生曰く「林理事長問責辞任となつた場合に高田先生ご自身か太田に次の理事長職と声がかゝるのではないか気が気じゃない」。さすが。

国安法有罪の民主運動家がカナダでの大学院進修目的に海外渡航を当局に要望。すでに香港で刑期終へ釈放されてゐたが旅券は当局預かり。この留学目的の出境を認める条件として提示されたのが「跟我哋返一次大陸」。国安と一緒に中国本土を一度訪れること。周庭はこれこそまさに自分たちが批判してきた「送中」で恐怖に苛まれたといふ。それが実際には「深圳一日遊」で当局の職員5名が同行して深圳で改革開放政策の成果や共産党幹部の功績を紹介した展覧などを見学させられ、香港に戻り「祖国の偉大な発展を学ばせてもらい、警察の対応に感謝する」といふ文書を書かされたといふ。それにしても当局はこんなことで千古罪人の反革命的な思想犯が過ちを認め転向するとでも思つてゐたのかしら。実のところ警方も「取り敢へずそこまでしておけば」だつたのだらうが活動家本人の「裏切り」により当局のあまりに稚拙な措置(深圳一日遊)が暴露されてしまつた。それにしてもこの留学が事実上の亡命であること、当局との約束など反故にして当局の何かしらの対応のミスジャッジなど言及することを当局は想定出来てゐなかつたのかしら。中共教条主義はもはや体制そのものだとして香港政府も国安当局もかなりそれに毒されてゐる証左がこれ。それにしても朝日の記事で周さん紹介で「独学した日本語に加え、母語の広東語や英語、北京語を駆使し」って香港では広東語と英語が共通語で北京語ができて日本語も勉強した人など数多。何も珍しいことではない。アタシだつて香港でこの4言語で普通に生活してゐた。

万博協会事務総長「やれることはやった」 「中止考えず」「民主主義に役立つイベントに」:朝日新聞

延期や中止は考えていない。各国は2025 年4月の開幕を前提にお金と労力を費やして準備を進めている。やり切ることが日本の務めだ。

……って各国って日本だけだろ。まともな常識的判断もできず「初志貫徹で遂行ことが宿命」で太平洋戦争前夜だよ。相変はらずだ。