富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

东急涩谷蓝塔大饭店能楽堂九月定期能〈観世流〉

癸卯年八月初九。秋分。気温摂氏19.4/25.2度。水戸の雨(10.5mm)。東京は朝方少し濡れた程度(4mm)。神田淡路町で整髪(The Gollum)。新宿。柏木の墓(常圓寺)に近い花屋は秋の彼岸も祝日で休み。新宿駅西口地下(小田急エース)の日比谷花壇で花を誂へる。掃墓。鮨いしかわ。昼のにぎりで「クエ」初めて頬張つた。渋谷。セルリアンタワー能楽堂訪れるときはいつも天気が悪いのだけれど今日の東都は朝のうちに雨も歇んでくれてゐる。

こちらの九月定期能で観世流。二部公演。いずれも畏友・村上湛君の解説あり。面白い。20分をきちんと寸分の狂ひもなくきちんとお話を披露される。これは話芸。休憩のときお手洗ひで能巧者のオヤヂが小用足しながら友人に「マスクしてても声が通る」と湛君に感心してゐた。能〈大江山〉は山階彌右衛門。

さも童形の御身なればあはれみ給へ神だにも一稚子二山王と立て給ふは神をさくるよしぞかし

稚児がなぜ鬼の酒呑童子になつたのか、なぜ人を襲ひ恐れられるのか。今のジャニーズ醜聞にまで通じる因果を感じざるを得ないところ。それにしても酒呑童子の死の無惨。結局のところ帝の権力の領域で、その権威に従ふことのない異形など排除されることのない宿命。

第一部のあと次の部までの時間に湛君にちょっと一服と誘なはれ桜丘町のカフェにご一緒したのが小針侑起さんだつた。やはり大変興味深い御仁。小一時間の歓談もあっといふ間。第二部のお能は〈班女〉。世阿弥の傑作だが世阿弥だつて数へで12歳の頃だか足利義満の寵愛を受け当時の最高の教養や芸術の世界と糾はれての美学。この〈班女〉も湛先生の解く通り教養主義的。「扇」がキーワードだが季節は秋。前漢の成帝に寵妃とされた 班婕妤 はんしょうよ 。「婕妤」は名に非ず後宮で皇帝の側室の称号(楊貴妃の貴妃は更に上位)。帝の寵愛は趙飛燕に移り「秋には捨てられる夏の扇」に自ら喩へたのが「 秋扇 シウセン 」。なんて切ないこと。皎深秋悲班女扇 Jiǎo shēnqiū bēi bān nǚ shàn 和漢朗詠集。その故事を世阿弥美濃国野上の宿の花子といふ遊女の物語に置き換へる。離れ/\になつた遠くの恋人を想ひ扇を眺め暮らす花子(女郎)の渾名が「班女」……と、こゝからもう素養か湛君による解説でもないとわからない。その花子と恋する吉田少将。渡来人の卜部の家の末裔。吉田神道。義満の時代に能は現代劇であるから、物語をリアリスティックにするために、その花子と恋に堕ちる相手に義満が近くに置いた吉田家が登場人物に描かれたといふ状況。猿楽からの能楽に和歌や、この〈班女〉では和漢朗詠集漢詩などふんだんに織り込まれ漢文学の世界に狂つた班女の華麗なる舞ひが披露され……がこの〈班女〉の素晴らしさなのだが、果たして本日のシテ(関根知孝)でその班女の可憐さが表現できたかしら。本日のワキは〈大江山〉〈班女〉いずれも森常好改メ宝生常三師で〈大江山〉の源頼光は立派だつたが〈班女〉で吉田少将は常三師のニンか何うか。今日のこの〈班女〉の舞台に出られた面々では地謡で関根祥丸さんシテでワキ(吉田少将)に本日ワキツレの渡部葵さんでも抜擢して若手の能で囃子方も杉信太朗(笛)に清水和音(小鼓)で広忠師(大鼓)に率ゐてもらふとかしても面白いかも。昨年のこの企画での祥丸さんの〈杜若〉は立派なものだつたこと思ひ出す。

お能のあとセルリアンタワーのLB階?出口から裏手の桜丘町に出て、久ヶ原T君に誘なはれた小さなバー。氷なしのダブルのハイボール。日本酒や焼酎もあるといふので八海山と言つたら二合たっぷり出てきてしまつて。さらに良心的なお会計であばらかべっそん。