富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

美濃部美津子『志ん生の食卓』

癸卯年八月初八。気温摂氏22.1/27.2度。雨(9.5mm)。今月8日に県の免許センターで印度→日本の免許証切替へに出向き各日25人の受付人数から溢れた印度籍のZ君リベンジで今朝6時45分には免許センターに着き列に並んで8時の整理券配布で13番目をゲット。午前8時30分からの受付に通訳で付き合ふ約束をしてゐたので免許センターへ。整理券は入手できたが13番目からは手続きは午後なのださう。朝の受付で事前の書類審査のため在留カードも提出してしまつてゐるので外に出たら「在留カード不携帯」で叱られる(罰金刑)。受付の列に並んでゐたら整理券番号12番の中国系の女性の通訳もしてあげてくれないか、といふ。早朝から外の列に並んでゐたときに英語堪能の彼女と話してゐて彼女が日本語ができないとZ君は承知してゐる。午前中はZ君の対応はほとんどないしのサポートもしてあげる。そのLさんアタシが中国語は多少できるにしても「本当に日本人?」と尋ねるのでワケを聞いたらアタシの顔が丸顔で鷲鼻で蒙古から西域の血が流れてゐるやうなのださう(中国でもときどき言はれたので驚かない)。午前の彼女の実技が午後になり午後のZ君の筆記が同じ時間で重なる。二人の通訳をしてゐたがZ君は筆記は大丈夫だといふ。免許センターのスタッフにどちらの通訳なのだと尋ねられる(そこで多少理不尽なやりとりあり理屈では論破)。一人の通訳が二人まで通訳できるとHPに出てゐたのだが、それは何うやら同じ農家で農業実習生(といふ名の輸入労働力)二人とかを連れてくる農家のお父さんとか想定してゐるのだらう。全く紐付けのない二人を突然連れて来れば、免許センターの周辺で日本語の出来ない外国人を捕まへて「資格審査でも適当に何か喋ってくれりゃ上手くやつてやるよ」なんてやつてる手配師だとでも思はれても致し方ないか。1件3千円とか。アタシは見た目もいかにもさういふ様だし。

志ん生の食卓 (新潮文庫)

美濃部美津子『志ん生の食卓』読む。美津子さんが先月末に白寿で亡くなり美津子さんの著作を『三人噺』『おしまいの噺』と連日読んで今日はこちら(食卓)。納豆、白魚、さつま揚げ、ちょっとした焼き魚。そんなもので毎日を暮らす。志ん生の谷中の家になかつたのは志ん生の大嫌ひな漬物。たまに一寸した贅澤は天ぷらは湯島の天庄、さくら鍋ならみの家、蕎麦なら池之端の藪で良い志ん生師匠。あの、とろんと酔っ払った、瞑瞼の笑顔。だから何ともいへない極楽がそこにある。