富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

美濃部美津子『三人噺 志ん生・馬生・志ん朝』

癸卯年八月初六。気温摂氏22.5/31.1度。曇。夕方(この夕方といふのは気象業界では季節や日の入りの時間に関係なく15時から18時を指すのださう)一寸、まとまつた読書をする必要があり水戸市民会館「ラウンジギャラリー」を初めて利用。「やぐら広場」に面したふき抜けの部分2階。まだ高校生が放課後の勉強などに来る前で空いてゐる時間帯で天気も曇りで強烈な西日も当たらないので利用してみようと思つたのだがやぐら広場は明日の大ホール使用のイベントのブースが並ぶらしく準備の音が吹き抜けに響いたりうるさいし落ち着いて読書など集中できもしない。本当に基本的な設計(伊東豊雄)が良くない。

水戸市立中央図書館にあつたら子どもたちに「これからの自分」啓発の図書コーナーにこんな本があつた。ユーチューバーになるなんて、とんだ間違ひでの結果であつて、こんなものを子どもに推奨すべきものではない。そんな世の中お気楽なものぢゃないだらう。

陋宅の近くにある駐車場の看板。「空」の字は明朝体のやうだが、どこか踊り方が岡本太郎のやうな。でもいずれにせよ落ち着かない。毎日つい見てしまふが慣れない。「マス」の上の花丸も気になる。

美濃部美津子さん死去 落語家の故五代目古今亭志ん生の長女で作家:東京新聞

先月29日に九十九歳の天寿全うされた志ん生のお嬢さんの美津子さん。

三人噺 志ん生・馬生・志ん朝 (文春文庫)

もう何度目の再読になるのか美津子さんの回顧談『三人噺 志ん生・馬生・志ん朝』を読む。馬生と志ん朝の姉。子どもの頃からはまだ売れない志ん生を父に母親もかなり苦労して貧乏のなかで育ち戦後は志ん生が名人となり馬生と志ん朝噺家として一人前となり幸せに暮らしたが馬生も志ん朝も可愛がってくれた姉を残しての早逝が悲しい。

志ん生没後50年に古今亭と金原亭一門勢ぞろい 9月に追善興行 次男・志ん朝は二十三回忌:朝日新聞

その美津子さんの訃報(30日)について一言も触れず朝日新聞(31日)にこの追善興行の記事が出てゐた。

東京八重洲鉄骨落下事故で作業員2名死亡 | NHK

昨日の東京駅八重口「国家戦略特区」超高層ビル工事現場での作業員2名死亡事故(朝日新聞)。 大正時代の東京駅駅舎(辰野金吾設計の現存の丸の内側駅舎)建設は確かに当時「国家戦略特区」だつただらう。だが今どき50数階建ての超高層複合ビル群建設を「国家戦略特区」なんて呼んでゐるだけで世界からは嗤はれてしまふ。工事現場での作業員の事故は労しい。経験豊かな建築作業員が足りてゐないのだといふ。それに対して昭和30年代の東京タワー建設で鉄骨を組み上げる鳶職の死亡事故が1名だつたといふのを聞くと驚くばかり。命綱もつけずあの天空での作業。アタシは高所恐怖症なのでこの写真(下)など見るだけでもうぞっとして鳥肌が立ち目眩がする。

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この画像(下)一瞬、フェイクかと思つたほどの国連総会議事堂の閑散。

だが「自民党の優しい」日テレの報道なのだからウソではないのだらう。

これくらいしか注目もされてゐないのが現実。日本でも半ば注目などされてゐないのだが。

岸田文雄首相の国連総会での一般討論演説 全文 - 日本経済新聞

我々は、人間の命、尊厳が最も重要であるとの原点に立ち返るべきです。我々が目指すべきは、脆弱な人々も安全・安心に住める世界、すなわち「人間の尊厳」が守られる世界なのです。

未曽有の危機と課題に立ち向かい、「人間の尊厳」を守り、強化するため、各国と共に一歩一歩、実現できるところから実現していこうではありませんか。

岸田の国連出席の費用だけでもムダ。バカである。