富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

大槻文蔵〈柏崎〉観世能楽堂

癸卯年七月十二日。夜中に雷雨(25mm)。気温摂氏23.8/30.4度。東京駅から地下道で京橋に出て銀座まで歩くだけで大汗。銀座は裏通りまで外国人観光客が目立ち昭和通りでツアーバスから降りて来たのはメキシコからの御一行。トラヤ帽子店。サイズが在庫なしで注文してゐたリネンメッシュハンチングを受け取り。昼は山形田。冷やし地鶏そば(肉そば)。この店にまで外国人客。本日お能をご一緒してもらふM記者と待合せで銀座若松。M記者は夏前に函館勤務から神奈川に移動。若松の豆かんは豆の量がほんの少し多くなつてゐた。観世能楽堂。〈銀座余情〉の企画で本日の能は大槻文蔵師〈柏崎〉。

昨年(11月)のこれ(余情)では能は〈山姥〉でシテ文蔵師で間狂言に万作師、囃子方は大小が亀井先生に大倉源次郎師で太鼓が三島元太郎師と所謂「人間国宝」総勢五人が舞台に。そこにワキは福王茂十郎師、笛は松田弘之師と格別なものだつた。本日も亀井先生が出演予定だつたが六月にご逝去。これについて冒頭の講話で村上湛君も言及されてゐたが亀井先生不在の能の舞台を何うしてゆくかが大切。本日も広忠さんが先考のことを念じながら鼓を打つ。シャープな音色はよく通るのだけれど、この能楽堂では耳に響きすぎる。水道橋(宝生)だと良い感じなのだけれど間もなく建て替へ。〈柏崎〉は所謂「狂女物」なのだが湛君が世阿弥の当時(室町)の頃の「狂人」の概念が今とは違ふことに言及。「狂ふ*1」といふことについての正確な理解。なぜ狂ふのか。狂つた世界で何が見えるのか。狂はないと見えない世界が存在すること。M記者も若松でみつ豆頬張りながら物語に儒教的な考へが入る前の世界がどれだけ価値観が異なるものか、を指摘してゐたが、その通り。まさにその世界の狂女のあり様を「陰翳の濃い心の襞を演じさせては当代随一」(村上湛)の文蔵師がまさに名演。鎌倉の訴訟に出向いた夫(柏崎)が鎌倉で亡くなり死に別れ、父に付き添つてゐた息子・花若が本来なら家、領地を守る立場を継ぐべきところ信濃善光寺で出家してしまふ。

捨身の行世に越えて候ふほどに人みなあり難きことに申し候、この法師師弟子の契約をなし共に念仏三昧の行を致し候

そこが本当に興味深いところなのだが、それで柏崎の北の方は余計に狂ふ。この複雑な悲しみを演じることの難しさ。今回は「大返し」と「思出之舞」の小書で前者は何かに誘なはれるやうに善光寺までたどりついた母(もはや遊行芸人の汚い狂女である)が如来堂に乱入して暴れる(大鼓の妙手)。シテが亡夫の形見である烏帽子直垂をつける「物着」での松田先生の笛のソロはこれもまた格別。そこだけで笛の曲として成立するほど。それほどの舞台に対してアタシは正面最前列中央のお席を手配いただいてしまつた。本日は一調(野守)銕之丞師に太鼓は三島元太郎先生。この太鼓もまさに聴き惚れる一打一魂でありました。

お能のあと(狂言の部は見ず)Ginza Sixの向かひにある銀座菊水へ。何年ぶりでパイプタバコの莨草を購入(ClanとHalf&Halfの二種)。銀座サンボアに飲む。そのあと晩の水戸に特急で、今日は恵比寿に用事あつて来てゐて一緒に帰る家人と電車で一緒になつたが「日傘は?」といはれ長傘をどこかに忘れてきたことにやつと気づく。

*1:くる・う【狂う】クルフ[自五]①(物にとりつかれたように)正常な心・考え方を失う。気が違う。垂仁紀<「―・へる婦めのこ」。万葉集(4)「相見ては幾日いくかも経ぬをここだくも―・ひに―・ひ思ほゆるかも」。「気が―・う」②神霊や物の怪けがとりつく。神がかりになる。日本霊異記(下)「神霊、卜者かみなぎに託くるひていはく」。日葡辞書「モノニクルウ」(広辞苑第七版)