気温摂氏25.3/33.7度。晴。毎夜の熱帯夜。数へてみたらこの夏今日までで22日もある。24度以上を加へたら30日くらゐ。去年の手帳を見たら一夏で熱帯夜は9日だけ。とんでもない常夏に生きてゐるが「どうなるんでせうね?」とよく耳にするが「どうするか」を根本的なところから革めるしかないのだが、その意識も覚悟も我々にはない。
満州事変起こしておいて……と思ふが当時の大局観では石原莞爾の右に出るものはゐないだらう。朝日新聞が戦争反対の言論を出せなかつたのも事実だが、それができるくらゐなら戦時中に何らかの形でレジスタンス運動が起きてゐたわけで羽仁五郎的にいはせれば「三木清を除き」知識人も黙り戦争が終はるのを待つばかり。それで終はれば久しぶりに風呂に入ってせい/\とした潔さで戦後を初めてしまふのだから。
歌六といへば吉右衛門のバイプレイヤーとして地道に芝居を続けてきたが人間国宝で大役も回つてきた。九月の秀山祭で大膳のお役とは。国立劇場は「妹背山婦女庭訓」で定高は時蔵。吉野川の大判事は松緑ださう。記事によれば「現在、定高を演じた経験のあるのは坂東玉三郎、大判事は松本白鸚のみ」とある*1。ずいぶんと主役クラスも代替はり、といふか他にゐない。
落ち着いた伝統と文化の街というイメージを求められ街自体がデオドラント(脱臭)化されました。言い換えれば〈脱・性化〉でしょうか。性的なにおいが消されていったのです。京都も全国の盛り場と同じで男性が愉しむ場所だったのです。
京都はずいぶんと浄化されてゐる。それでもまだ悪所が残つてゐるのも京都らしさ。ふと映画〈男はつらいよ〉第2作 続 男はつらいよ|松竹映画を思ひ出す。昭和44年の作品だが寅さんの生みの親(ミヤコ蝶々)は京都毘沙門町でラブホテル(グランドホテル)の女将。架空の話とはいへ祇園の端の毘沙門町のこのあたり今はどうかと思つてGoole地図見たら今でもラブホ街なのはさすが京都(京都祇園ホテルサンデーブランチとか)。それでもラブホのかなりの数が外国人旅行者向けの宿舎になつてゐるのはご時世か。