富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

田坂広志『死は存在しない』(光文社新書)

癸卯年六月廿七日。気温摂氏24.7/32.5度。晴。お湿り程度の雨(2.5mm)。本日所謂八月盆の迎へ日。母方の伯父の新盆で母からの供花で胡蝶蘭を伯母の家(常陸大宮市)に届ける。久慈川を渡つた集落(といつても2019年の台風19号での久慈川洪水で随分と家々が転居してしまつた)にある父方の伯父伯母の墓。旧久慈郡水府村にある父方の祖父母の墓へ。

「うろこ雲子孫は近し祖は遠し」と祖父の詠んだ俳句の句碑が墓標になつてゐるが祖父母の実子では伯母が一人元気にしてゐるだけで孫も数へると1人亡くなり9人で昔はお盆に集まつたものだつたが今はそれもない。

死は存在しない~最先端量子科学が示す新たな仮説~ (光文社新書)

田坂広志『死は存在しない~最先端量子科学が示す新たな仮説~』(光文社新書)読む。この本は何だか評判になつてゐたやうで図書館で半年程前に30人待ちだつた。我々の「意識」はどのやうにして存在してゐるのか。量子や素粒子といつたものが「極めて原初的な次元で意識をもつてゐる」のではないか。さうした「意識」には過去から現在、そして未来の記憶まであり、さうした大量の意識が集積されてゐるのが宇宙。そして宇宙は量子真空から生まれ、そこにゼロフィールドポイントがあつて、そこが核。


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さうした科学的な説明は実に面白い。この本の後半はさうした科学的な推論から宗教などの悟りの域に進む。かうした内容はけして斬新的なものではなく古典。高校生くらゐに〈2001年宇宙の旅〉の映画を見たりブルーバックス、賢治だとか読んだりしたときの「もしかしたら」の空想がそれ。それにしてもこの本が図書館でこんなに人気なのは高齢者もこれを読めば自分の命の実体としての死もけして怖くない、壮大な宇宙のなかに組み込まれてゐると識るからなのだらう。