富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

筒井清輝『人権と国家 理念の力と国際政治の現実』

癸卯年六月廿六日。気温摂氏24.4/33.3度。晴。

人権と国家 理念の力と国際政治の現実 (岩波新書)

筒井清輝『人権と国家 理念の力と国際政治の現実』(岩波新書)読む。

「人権」は広く認識されるやうになつてはゐる。しかし米国でこそ相変はらず黒人差別で白人警官の暴力だとか中国での専制政治があり米中といふ二つの巨大な覇権国家でこそ人権がきちんと保障されてゐないとは。これまで人類は奴隷制の撤廃や植民地主義の解消などに努めてきたわけだが英国が奴隷制廃止に動いたのも植民地でのハイチでの奴隷たちによる独立運動が植民地経営に打撃となるから奴隷制の解消に動いた側面もあると著者は指摘する。日本も幕末の外国列強との不平等条約の改正に始まり近代化と先進国の仲間入りしてゆく過程では非白人国家の代表として植民地主義の解消を国際連盟で訴へたのも事実だが、その日本は列強と肩を並べるだけの国力拡大で帝国主義的な領土拡張に走ることになる。「マイノリティの権利」といふ言葉も大切に聞こえるがナチスドイツはチェコポーランドに生活するドイツ系市民のマイノリティーの権利保護を名目に進出の口実にしたのも事実。また男女平等も欧州で第一次世界大戦のときに男性が軍隊に駆り出されるなかで女性が社会の様々な分野で尽力したことで女性に男性と対等な権利を与へるべきといふ認識がもられ、黒人差別とて第二次世界大戦で黒人も米軍に徴兵されたことで黒人の地位向上といふ認識になる。戦争が人権の向上に役立つとは……ジョージ=オーウェルの『1984年』で「戦争は平和である」といふパラドクスのやうな。ところで、この著作で一つピンとこなかつた点について。1941年に米英はすでに第二次世界大戦後の世界構築について「大西洋憲章」をまとめてゐるのだが、その後の連合国側の動きのなかで中華民国が人権については「最もコミットしていた」。そこで1944年から後での記述なのだが(42頁)

蒋介石に代わって(ダンバートンオークス会議などに)参加した中国代表は……

といふ記述あり。蒋介石中華民国で、それを襲つての中国代表といふと中共のことかと思ふのだが、その記述のあとに「さらに大戦終結が近づくと……」とあるのだから、まだ第二次世界大戦中のことで、この「蒋介石に代わって参加した中国代表」が何を指すのか意味不明。当時の中華民国蒋介石に代はる領袖がゐたとは知らないのだけれど。

人権に関して日本は憲法での基本的人権の尊重の精神があり国際人権規約を批准し国連難民高等弁務官として緒方貞子さんが活躍し国内でも在日朝鮮人指紋押捺問題やアイヌ民族の尊厳に関する認識の改善などもあつたのだが半面、女性の社会的地位の低さ、極めて消極的な難民受け入れ等問題は多くあり。そして岸田政権、自民党にさうした問題の解決を期待することもできず。とても人権に関して(そればかりではないが)先進国とはいへない、むしろ後進国のまゝ。岸田の悪口を云ふは易いが、そもそも国民がこんな男女格差はおかしい、移民も受け入れもできなまゝ少子高齢化で社会はどうなる?に深刻に疑問を感じてゐたら、さういふ問題は解消の方向に動くわけで、それがないのだから何うしようもないか。