富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

野球部あるの?だつた茨高が常総学院に勝利とは!

癸卯年六月初三。夏土用入り。気温摂氏23.0/30.2度。気温が30度で湿度57%、風が最大で10.7m/sあつただけで「心地よい」と思ふのは感覚が完ぺきにイカれてゐるだらう。

あまり興味もないところだつたが高校野球茨城県大会。水府といへばやはり野球解説で人気だつた西鉄豊田泰光(1935〜2016)の水戸商業が伝統校なのだが今年の夏の高校野球県大会で水商は初戦(二回戦)で明秀日立に敗れ一昨日までで16強に水府からは水戸一高、私立では茨城高、常盤大高と水城高の4校が居残る。戦前の旧制水戸中学ならまだしも戦後は序盤戦敗退が常の水戸一高、かつては野球部存続すら危ぶまれ「一勝でもしたことあつたの?」の茨高がまさかの善戦。選手たちも夏の地方大会出場を思ひ出に、きつと予備校の大学受験の夏期講習に申し込んでゐたはず。今日の4回戦で水戸一高は土浦の霞ヶ浦高にコールド負け。茨高は相手が甲子園常連の常総学院ぢゃ「さすがにこゝまで2回勝つただけでも殊勲」と言ひ乍らネットで試合中継見てゐたらまさかの善戦。7回まで5-3とリード。8回裏の満塁のピンチも切り抜け9回裏にノーアウト1、2塁で、こゝから同点、逆転か……と覚悟したところエースの投手(といふか他にゐない)佐藤由選手善戦で常総学院の強打を抑へ勝利。

常総学院に勝利を一番驚いたのは選手ら諸君でせう。投手佐藤君は9回を179球の熱投で常総学院相手に13奪三振。水戸のリトルリーグ出身とはいへスポーツ特待もない進学校で大したもの。4回戦突破は62年ぶりなのださう。

常総学院の四回戦退敗は高校野球関連で全国ニュースとなり無名の茨城高校は「なに?それ」で学校HP(こちら)も大金星のあと夜までサーバーダウン。

高校野球茨城県大会ベスト8進出|茨城高等学校

茨城高校は法大→近鉄西武ライオンズの確か初代監督になつた根本陸夫(1926〜1999)がこの高校の旧制中学時代のOBだが昔からスポーツなどからきしダメな高校で硬式野球部など選手は9名にも満たず毎年初夏になると野球部監督の体育教師O先生が多少なりとも運動神経がありさうな生徒に一本釣りで「頼む」と甲子園の地方大会の時だけ入部を誘ふくらゐの為体。今の監督?はO先生のご子息のはず。昨年6月13日の日記(こちら)より。

夕方、家人と散歩。水戸の台地から那珂川河岸段丘に下りてG小学校の崖下の運動場からI高校の野球部の練習場へ。前者は小学校の校庭のやうだが開放されてゐて敷地外で元は茨城女子師範があつて記念碑が建つてゐる。水戸の空襲で女子師範も焼けて戦後は茨城大学教育学部編入された。G小学校はこゝにあつても水戸芸術館のある市街からの移転でアタシにはピンとこない場所。I高校の野球部もアタシらの頃は部員も揃はず夏の高校野球の予選前になると監督の体育教師が慌てゝ野球も出来さうな学生に声をかけてゐたほどだが今は随分と部員がゐることに驚かされた。練習中の学生がアタシらのやうな突然の練習見学の輩にも皆きちんと挨拶をしてきて恐縮。尋ねたら40名も部員がゐるのださう。しかも女子生徒がサポートに!共学であることにやはりまだ驚愕。本当に勉強もしない、遊んでばかりゐる男子校。アタシの同級ではK君が野球部のピンチヒッターに名乗りを上げ、いきなりの投手で地区大会に出たのは凛々しいものであつた(当然のやうに野球の強い相手に完敗だつたのだが)。

明後日の準々決勝の相手は明秀日立。選手のかなり多数が関西弁。つまり大阪松蔭とかPL学園の野球部にこそ入れなかつた選手が集まつてゐて台湾出身の野球留学だつて数名が一軍。4回戦までの失点がわずか1点なのだ。これに勝つたら椿事も椿事。水戸一高がもし霞ヶ浦、土浦湖北破り準決勝で水戸一高vs茨城高校とでもなつたら水戸は大政奉還以来の大騒ぎになつてゐたでせうに。