富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

新暦で盆の水戸

癸卯年五月廿八日。気温摂氏23.7/31.9度。曇。水戸は市中の七寺だつたかは東京や横浜の市中と同じで(何故さうなつたのか我不知)陽暦で本日が盆。我が家の菩提寺である神崎寺もその一つでこちらは真言宗豊山派だが日蓮宗の本行寺だとか浄土宗の光台寺などで宗派によるものでもない。掃墓。三月末に急逝のH君の家は光台寺なのでご自宅にお姉さんのところに焼香。

なぜ水戸は東京や横浜と並んで新暦で盆なのか。郷土史に詳しいJ君に尋ねてみたところ下記のやうなことを教へてくれた。
- 明治の御一新で東京・神奈川と並んで水戸は「新政府の意向が伝わりやすい」
- 新暦で盆をする7つの寺院のほとんどが旧城下町か周縁部なのは殊更。
- 当時の水府の荒廃。廃仏毀釈の嵐は水戸では殊更で主要な寺院は明治10年代までに焼失したり毀損させられた事例多。明治4~5年まで続いた天狗諸生の復讐戦とあいまって民心はもう反抗的態度というのを出す力がない、そのタイミングでの太陽暦ですんなりいった。
- 新政府で宗教政策を当初担っていて神道国教化だけでなく仏教も所管していた教部省に随分と弘道館の学者をはじめとして水戸藩士の生き残りが、水戸学の影響を受けた福羽美静にスカウトされた。
- そういう人たちが水戸の古刹の檀家だったりしているので、結構新暦転換を裏で支えている可能性がある。大日本史のラストランナーである、栗田寛(のち東京帝大教授)南下がその典型か。

弾正星 (小学館文庫)

花村萬月弾正星』読む。萬月は『ゲルマニウムの夜』くらゐしか読んでゐなかつたが「この作家と同時代にあることが嬉しい」と思へたのはアタシにとつて中上健次とこの萬月くらゐかもしれない。筆致。表現が上手なだけではなく多くの言葉が作家本人にしみついてゐる。
Google Booksの紹介より)時は戦国、下剋上の世。京都相国寺近く三好家の屋敷に「右筆」として仕へる松永久秀。得体の知れぬ出自ながら茶の湯に通じる才もありながら気に食わぬ者は容赦なく首を刎ね、殺害した女を姦通し……極悪ながら権謀術数駆使し戦国大名へと成り上がる。更には将軍足利義輝を斃し東大寺大仏殿を焼き討ちにして「信長ですら畏れた稀代の怪人」。それを義弟として可愛がられた蘭十郎が活写する。あまりに残酷無惨な暴力に戦慄すら覚えるが「匂い立つようなエロスに耽溺する物語世界」であり「かつまた、悪業の限りを尽くす主人公を愛嬌たっぷりに描き、読了後に寂寥感すら抱かせる筆運びは圧巻」。まさにそれ。花村萬月にしか描けぬ、この暴力の先の世界。

午後野暮用で出かけたあと早くから開け始めたバーでマティーニハイボールを飲む。帰りに通りかかつた“MITORIO”(水戸の芸術館、市民会館と京成百貨店のエリアを総称してかう呼ぶ)で何だかいくつか夏のイベント開催でそれなりの人出あり。地域の活性化といふがかつての繁華街も今では開業してゐる店舗が数へるほどなのだから。


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なぜ夏は読書の季節なのかしら。

ツバメのひみつ

長谷川克『ツバメのひみつ』(緑書房)通読。ツバメといへば巣の可愛らしいヒナたちだが(それへの関心からこの本を読んだわけで)親ツバメがエサを巣に運びヒナたちは並んで口を大きく開けてエサを強請り親ツバメもどの子にもエサを与へるのが大変……だと思つたら健康に育ちさうな子をきちんと選り取つて優先的にエサを与へるのださう。メスと結ばれた繁殖オスが自分以前の番ひだつたオスの子を巣で突き巣から落とす子殺し。尾羽の長いオスを父にもつとヒナはオスになる確率が高く逆に尾羽の短いオスだとメスのヒナが生まれ易い。メスが相手に選ぶのが見た目の良い長い尾羽のオスばかりだと男女比がオスに偏るがさうもならぬのはメスも相手のオスの性格とか心気の良さとかで選ぶこともあるからなのかしら。口腔の赤い色のヒナは血行が良いので一目瞭然だとか。ヒナたちも巣中のサバイバルは過酷。異父のヒナには冷酷で自らの同父のヒナと結託して異父のヒナたちを巣から落としたりもする。鳴き方で身元の異なるヒナが識別できるのださう。過酷なツバメの世界だが英国での調査では巣立つたヒナ1,600羽のうち季節が変はり帰還したのは僅か49羽で帰巣率は3%で日本でも新潟では200羽のうち8羽にすぎず。

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