富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

代々木果迢会別会

癸卯年五月廿二日。気温摂氏22.5/33.6度。神田淡路町で散髪の前に少し歩くと近江屋洋菓子店は午前十時半なのにもうケーキ買ふ人の行列。神田は風もなく少し歩くだけで汗だく。東京は36.5度で今年初の猛暑日。以前は新宿角筈で散髪のあと千駄ヶ谷まで代々木を抜け歩いてゐたが今日は淡路町から。お茶の水駅まで上り坂も厭ひ小川町から都営新宿線で市ヶ谷経由で千駄ヶ谷へ。能楽堂の外のベンチで神田志乃多寿司のいなりとのり巻きの折でお昼。

代々木果迢会別会。浅見真州三回忌追善。能は浅見の故人の甥にあたる慈一さんの〈重衡〉と故人の弟子にあたる小早川康充の〈乱〉。故人の世代で山本順之の独吟〈玉取〉欠番は残念。小早川泰輝の舞囃子〈融〉で小鼓の柿原孝則の音が際立つ。まだ若く、音が際立つのは良いが亀井忠雄先生のやうな際立ちではなく他の囃子方のぼんやりとしたなかで音も大きく目立つてゐたのかもしれない。祖父が崇志師(人間国宝)。この舞囃子囃子方がそのまゝ〈乱〉もお役だつたが〈乱〉はやはり難しい。若手の卒業試験のやうでもあるが〈乱〉のやうな舞ひを何度も繰り返されるフレーズのなかで客を飽きさせずぐい/\と奥に誘へるだけの力量がシテ方と笛に必要なわけで、孝則さんもそこで頭取のやうにリードといふわけにはいかない。本日の番組では何といつても野村万作師の狂言〈清水座頭〉。座頭と瞽女(修一)が清水の観音の導きで巡り合ひ二人で手に手をとつて歩んでゆく、狂言としてはしんみりとして下品な笑ひもない、まるで山田洋次の映画のやうな世界で万作師ゆゑの素晴らしい空間。万作の会ではテケツを取るのも六ツかしいのに能の狂言だと万作師でも狂言のときに席を離れてしまふ客もゐるのがいつも不思議。狂言で後見(遼太)が一言だが座頭のセリフを受けて声を発する形*1は初めて拝見。

お能が順之師の独吟欠番で少し早く終はり渋谷に出て渋谷ヒカリエ

ソール・ライターの原点 ニューヨークの色 | Bunkamura

この紐育の都市写真家そして画家の存在(1923〜2013)をアタシは寡聞にして全く知らなかつた。昨日Tさんが自分がSLが好きで、その三度目の作品展が渋谷で開催されてゐると聞いて知つた次第。写真がこんな風に撮れるとは。ほとんどスナップなのだが見事なSL独自の世界。本当なら2時間でも3時間でも写真や絵を眺めてゐたい。展示で最後は膨大な数のスライドを、そのフィルムロール毎にスクリーンは10張だつたか連続して映す空間は圧巻。これだけできちんと見たら1時間以上かゝるはず。

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渋谷の駅その周辺の急激な変貌についてゆけず。かつて東横線のホームがあつたあたりに渋谷スクランブルスクエアが出来て、今は東口から西口にかけ東横デパートのあつたところの建物の取り壊し中だがJRの駅のホームの上にこんな重機が乗つかつてゐて建物解体工事中とは。

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品川から常磐線の特急の始発に乗つて発車前から渋谷で買ひ求めた某天丼専門店のお弁当(あまり美味しくもない)を食べ始めた。東京と上野の各駅で列車が混む前に食べてしまはう。コロナのときはこんなことなかつたのだけど。隣席は🔴で空いてゐたが東京駅に着く直前に🟢になつて有客に。前の席のお姉さんもアタシに倣つて?品川で発射前から焼きうどんを食べ始めたら、そちらは品川からもう隣の席が埋まつて品川だとまだ数名の乗客の車内で隣に乗客がゐるなかで食事も気恥ずかしさう。

*1:後日註:これは「地取」といはれるもの。人物の登場部などに多用される定型の謡が「次第」。能では地謡が全員で「次第」全句を低吟するところ、狂言ではそれを倣ひシテがそれを謡ふと直後に「後見が」その末句だけを呟くやうに低吟するのださう。以上、村上湛君から教へていたゞいた。